JINSEI STORIES
退屈日記「不良になれないオタクな息子の明るくない未来」 Posted on 2020/09/18 辻 仁成 作家 パリ
某月某日、歩いていたら、バサっと目の前に水が落下して、歩いていたご年配のご夫婦を濡らし、残った水は地面で大きな音を立てた。上から誰かがバケツの水を撒いたような勢いだった。
その辺は街路樹があり、上が見えない。お爺さんとお婆さんは手で濡れたところをはらって、歩き出した。
すると、また、バシャっと音がして、子供の笑い声が続いたので、悪戯だな、と思い、ぼくは大通りの真ん中まで出て上を見上げたところ、最上階のバルコニーから数人の小さな子供たちが、口に含んだ水を一斉に地上目指して吐き出していたのだ。
それが人に命中するたび、大喜びをしている。
でも、下の人は街路樹が邪魔して、上があまりよく見えないので、そういう水だとは気づくこともない。ぼくは大きな声で、
「お前ら、何してんだー」
と叫んだ。
あの、もちろん、こういう時は咄嗟なので、日本語が飛び出す。
意外と日本語の方が威力がある。怒鳴り慣れているからで、悩んでフランス語絞りだしても届かない。
「やめなさい。そういうことしちゃダメだろ!」
こういう時にロッカーの声は本当に役立つ、上の子たちが気付いて慌てて、部屋の中へと逃げこんだ。
コロナ禍で感染者急増中のフランスで、これは本当に怒りがこみ上げた。しかも、お爺さんやお婆さんに。子供たちの中に無症状感染の子がいる可能性もある。
通りを歩く人たちもやっと気が付き、そこを迂回しはじめた。
ぼくはそのまま通りの反対側に渡り、ちょうどカフェがあったので入り、テラス席に陣取った。
子供たちが口に含んだ水を吐き出していたのは角の建物の最上階で、しかし、驚いたのは、最上階全てに面する大豪邸、外に通じるガラス戸だけでも、10以上あった。
すると、ほとぼりが冷めた頃に、他の扉から次々子供たちが出てきて、また、口に含んだ水を地上目指して、ベッと吐き出しはじめたのだ。20人くらいはいる。
どうやら誕生会か何かのようで、しかも、女の子たちは全員、タバコを手に持って、回しのみしている。
しかも、その子供たちどうみても、10歳前後のあどけない子たちである。いやはや、驚いた。
ぼくと同じように気づいたマダムが、上を見上げて怒っていたが、声が届かないので頭から水をかぶっていた。
そこはサンジェルマン・デ・プレ地区の一等地で、一角を占有する大きな建物の最上階のアパルトマンを持っているということは、半端ない大ブルジョア家系に違いない。フランスには元貴族のような一家が結構いる。
代々続く大金持ちの家族が住んでいるのに違いない。
子供たちは全員白人で、一人も黒人やアラブ系の子がいないというのも、様々な人種が混じりあうこの時代のパリではちょっと珍しい光景でもあった。
10歳でタバコ、親の目を盗んでのとんでもない悪戯、この子たちはどういう大人になるのだろう。まるで映画のようだけど、これがある意味、パリっ子たちの本来の無邪気な姿なのかもしれない。
うちの子はどうだったか、と振り返った。
10歳の頃と言えば、ぼくがシングルになった頃だ。あの子は家から出ない子でパソコンの中でばかり遊んでいて、仲良しの子たちも同じように超大人しく、一言で括ると「オタク」だった。
そのグループはいまだに継続している。
息子の学校の女の子たちの中にはやはり当時から煙草を吸っている子がいた。息子はそういう子たちのことを「不良」と日本語で呼んでいた。
ぼくは、ここで、息子の未来を想像してみる。この子は優しいし正義感が強いので、口に含んだ水を人に吐きかけて笑うようなグループには入らないのは明らかだが、じゃあ、そういう大人しい子が大きくなったら、どういう子になるのだろうと、想像してしまった。
ぼくが子供の頃はどっちかというとやんちゃで悪戯ばかりしていた。
道に大きな穴を掘って車が通れなくしたり、法事に集まった人たちの靴を全部隠して怒られたり、負けず劣らずの悪だった。
煙草とかアルコールは苦手だったので手を出さなかったけど、ガキ大将だった。
なので、当時の自分を思い出しても、うちの子は、出来過ぎ君で、そこがちょっと不安になる。
ダイナミックに世の中を渡って行けるのか、しかも、フランスのようないまだに根強い階級社会で、日本人を背負って、親戚もなく、親はブルジョアじゃないし、コネクションもない。ぼくが謝罪に行かなければならないような問題を彼が起こす気配というものは皆無。
自分のご飯は自分で作り、洗濯も自分でやるような子に育ったはいいが、ダイナミックなことが出来るような感じは一切ない。
彼のオタク仲間たちはいつも白いマスクをして、道を一列になって、人とぶつからないように並んで歩く小鴨のよう。通りの反対側からその姿をみて、なぜか、不安がよぎる。
オタクオヤジになり、煙草をがんがん吸って育ったパリジェンヌたちに相手にされることもなく、白人社会であごで使われ、もくもくと与えられた仕事をこなす、心優しいパパになるのだろう、か。それはぜんぜん素晴らしいことなのだが…。
スティーブ・ジョブズのような大経営者になって、とは思わないけど、20年後も、あの子はまだ、うちの子供部屋に生息していて、パソコン覗いてゲームばかりしていないか、心配が尽きない。
オタクか不良か。一度、息子が爆発したところを見てみたい、と思った。
この子が他人と喧嘩しているところを見たことがない。
怒りの沸点が、ぼくのそれとは全然違うので、息子としては申し分ないのだけど、これからどういう大人になっていくのか、まだまだ見えないところもある。
しかし、口に水を含んで道行く人をずぶぬれにさせる女の子たちが将来どういうお母さんになるのかも、想像が出来ない。
やれやれ、と思わず日本の父ちゃんはつい小言が出てしまう。おっと、息子が帰ってきた。彼はランチを自分で作って、食べて、食器を片付け、午後、学校に戻るのである。
「ただいま」
「おかえりー」