JINSEI STORIES
滞仏日記「不意にニコラとマノンが我が家に避難してきた」 Posted on 2020/09/06 辻 仁成 作家 パリ
某月某日、台風10号のことが心配で、福岡の弟にラインをした。ラタトゥイユが美味しいし日持ちするから母さんに作ってやって、とその作り方をラインで教えていたら、携帯に着信が入った。
「ムッシュ、パパとママが大ゲンカしていて、今日、家に居られないから、ニコラと二人、そちらに一晩泊めて貰ってもいいですか」
マノン(13)からであった。前の家の隣に住んでいた4人家族の長女で、しっかりしたお嬢さんだ。
弟のニコラ(9)はこの日記にも頻繁に登場をする甘えん坊の少年である。ともかく、小学生と中学生の姉弟なのだ。
「もちろん」
と言ったが親の許可がいるので、彼らの父親にSMSで確認したところ、電話がかかってきた。どうやら、大変なことになっているようだ。
家の中が荒れ果てている、と父親は言った。そうなることはなんとなく分かっていたけど、…。
「妻がかなり荒れているので子供たちを預かって貰えると助かります。このままじゃ、子供たちにも危害が及ぶので」
と言うので、もちろんだよ、と戻しておいた。
ぼくは片方だけの意見は信用しない。噂も信じない。自分で見たこと、感じたことだけを信じる。夫婦の問題は夫婦にしかわからない。それがぼくのスタンスだ。
「明日の午後、自分が迎えに行きます」
「了解」
息子に事情を説明すると、やれやれ、いつも子供が犠牲になる、と文句を言った。
マノンはニヒルな子だが、しっかりしている。ぼくの顔を見て、一瞬、泣きそうになったけど、後ろにニコラがいたので、必死で堪えてた。
二人とも大きなマスクをしている。眼だけがぼくをまっすぐに見つめているけど、いつもの柔らかい視線ではない。
ニコラの目は赤く腫れているので、泣いた後かもしれなかった…。
「ムッシュ、急でごめんなさい。土曜日なのに」
とマノンが言うので、ぼくは微笑み、ドアを大きく開けて、
「ここを自分たちの家だと思って、好きにして構わないよ」
と優しい声で返した。あまり刺激をしない方がいい。
「今日の夜、何が食べたい? なんでもいいよ。食べたいものを作ってあげる」
ニコラの顔を覗き込み訊いた。
「お寿司…」
「おお、了解。サーモンのチラシ寿司でいいかな? ほら、ご飯の上に刺身が載ってるやつ。前に、一緒に食べたでしょ? チラシ寿司って言うんだ」
するとニコラとマノンが笑顔になり、うん、と元気に返事をした。ぼくはニコラの頭をごしごし、とこすってやった。
昔、幼かった頃の息子にもこうしてあげた。子供も犬もこうやると安心をするのだ。ぼくは子供と犬猫にだけは愛される。あ、カモメにも愛されている。
ニコラとマノンを洗面所に連れて行き、まず、手をキレイに洗わせた。どんな時であろうと、コロナ対策はとっても大事だ。
サロン(リビングルームのこと)に二つソファがあるので、ベッドメイキングして、彼らの寝床を作ってあげた。
作家で生計が建てられなくなったら、民宿をやればいい。ご飯を作れるし、子供が好きだし、ベッドメイキングも上手だからだ。掃除だって、洗濯だって、出来る。
マノンが本棚の方を選んだ。ニコラが大きなソファに飛び乗り、寝転がってゲームをやり始めた。
マノンは携帯で友だちとチャットし始めた。まだ、二人とも幼い。息子が10歳になった時にうちは離婚した。だから、子供たちの精神状態が今どういう感じか、だいたい理解が出来る。
当時の息子のことを思い出した。あの時の息子よりも状況がいいのは、この子たちは一人じゃない。姉弟だから、孤独じゃない。
二人はとっても仲がいいので、安心だった。ともかく、彼らの避難は完了した。あとは、彼らの両親の問題になる。
この日記で何度か、二人がうちにしょっちゅう遊びに来ることを綴った。けれども、彼らの両親の問題については触れてこなかった。
どこかでなんとかよりを戻してほしい、という願いもあったからである。でも、どうも今回は雲行きが怪しい…。
※過去記事はこちらから⬇️
滞仏日記「ニコラ、再び」
https://www.designstoriesinc.com/jinsei/dairy-326/
滞仏日記「ニコラのお父さんに苦言を言った」
https://www.designstoriesinc.com/jinsei/dairy-377/
ママ友の弁護士のソフィが言っていたが、ロックダウンの後、フランスではコロナ離婚と会社倒産が社会問題化している。
ソフィが扱っている案件のほとんどは離婚だということだった。
これは異常事態である。
コロナ以前は、夫婦共働きで、ある意味、すれ違いの人生だった。
しかし、共働きだからこそ、お互い嫌な部分を避けることも出来た。
ところがコロナ禍が拡大し、ロックダウンのせいで、強制的に狭い家の中で夫や妻と面と向かって過ごさないとならなくなった。
お互いの人生を改めて考え直すに十分なタイミングが生まれてしまったのだ。
「亭主元気で留守がいい」というコマーシャルじゃないが、夫婦も年月が経つと、いろいろな問題を抱えるようになる。
それをコロナが炙り出してしまったのだ。ぼくの知り合いのフランス人家庭で、3組がこの夏に離婚を決めた。
でも、みんな子供じゃないので、ぼくが口を挟むことじゃない。
フランス人はプライベートをとやかく言われることを好まないので、そこには介入しないけれど、子供たちのことは心配でもある。反抗期、思春期、成長期の子供たちだからだ。
フランスは法律で、親が離婚をしても親権は必ず両方が持たないとならない。
なので、別れても、必ず両方の家を行き来する。子供たちにとってはとってもいい法律だと思う。
ともかく、ニコラとマノンの親は今、離婚へ向けての最終協議の真っただ中なのだ。
その修羅場のような日々を見てきた子供たちは憔悴しきっていた。
なので、ムッシュ・ジャポネに出来ることは、ニコラとマノンの大好物、サーモンのチラシを作ることであった。
とりあえず、ボン・マルシェに新鮮なサーモンを買いに走った。
そして、酢飯をつくり、世界一美味しいサーモンチラシを作ったのである。ニコラとマノンがどんなに歓喜したことか!
「わあ、美味しそう!」
ついでに、息子も喜んでいた。三人は食後、カードゲームに興じた。
息子は手品が上手なので、披露し、子供たちの心を奪っていた。(ぼくは息子のカード手品だけはその仕掛けを見破れずにいる)。
幼かった自分とニコラが重なるのであろう。息子は二人に優しかった。
とくにニコラの面倒をみていた。ニコラとマノンに笑顔が戻っていた。
夜、ニコラのお母さんから電話がかかってきた。
ぼくはニコラとマノンに気づかれないよう、自分の寝室に行き、話すことになる。
「ムッシュ、ごめんなさい」
「いいよ、それは大丈夫。そっちが大変なら、月曜日の朝に戻してもいいよ」
「いいえ、話し合いは出来たので、明日、二人で迎えに行きます」
「午前中、ちょっと仕事が入ったから、午後がいいな。昼ごはんの後とかでよければ」
「いいんですか?」
「もちろんだよ。今日はチラシ寿司だった。明日はマノンのリクエストでシポラータかアンコルネのスパゲティかな」
「ありがとう」
「どう? 大丈夫?」
「ええ、離婚することに決めました。簡単ではないけど、あとは弁護士がやってくれます」
「そうか、了解。ぼくでよければ、子供たちの遊び相手にはなれるから、いつでも、どうぞ」
「ムッシュ、メルシー」
「どういたしまして」