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退屈日記「この地球は人間のことをどう思っているのか?」 Posted on 2022/02/09 辻 仁成 作家 パリ

某月某日、ぼくが若かった頃の世界と今のこの世界とでは、ビジュルアル面の大きな違いは感じられないのだが、けれども何だろう、全く別の地球に居るのじゃないか、と思うほどに何かが変化してしまった。
どこがどう変わったのかを細かく指摘できないくらい、少しずつ変わっているので、ちょっと離れて眺めると同じものなのに、全く別の星を眺めているほどの違和感を覚える。
それがダメとか悪いとか短絡的に言い切ることが出来ない。
昔がよかったとも思わない。
ならば、いいじゃないか、となるのだが、それでも、ここ最近の変化は過去最大なまでに大きく、正直、来年の予測が立たない状態である。



10年後、この世界がどうなっているのか、いや、わずか5年先の世界のことすら想像できない。
ぼくが30代、40代の頃は、少し先はこうなっているだろう、と予測することがまだ可能だった。
でも、今、ぼくらは地球の未来を予測できなくなりつつある。
それはもちろん、COVID-19の影響も少なからずあるとは思うが、それだけじゃない。
人類にとってコロナ危機はすい星の破片が地球にぶつかったほどの破壊力があったかもしれない。
人類の基軸がそのせいで狂って、こう進んでいくだろうという未来も不安定になった。
政治も、経済も、大国の力関係も、思想地図も、人類の幸福度も、それ以外もだいたいのものの価値観が見えにくくなってしまった。
これにくわえ、環境問題の急速な悪化が暗い影を落としている。



人類の多くがロックダウンや何某かの制限を受けたことで、精神的な衝撃をうけ、不安を覚えたのは事実で、それが消費や経済、政治へも少なからず影響を与えた。
人類の間に不信が蔓延し、それは地域を分断し、国家間にも敵対的な空気をもたらしたことで、世界は底なしの緊張状態にある。
お金の動きが鈍り、人間の移動が制限され、要は地球の気の流れが悪くなった。
大国に余裕がなくなったのに、覇権主義だけが拡張し、ある種、世界は一触即発の危機的な時代に入った。
局地的な戦争の噂も絶えない。
何が起きてもおかしくない状態である。

そこで、人間が増え過ぎた地球を一つの生命体だと仮説するならば、コロナウイルスが生き残りをかけて弱毒化する代わりに物凄い勢いで変異し感染力を増しているように、この地球も生き残りをかけて行動に出始めているのではないか、と想像することも出来る。
地球を支配している傲慢な人類をある程度排除しようという生存本能がこの母なる星に働いていると考えると、気候変動やコロナ禍など、いろいろなところで辻褄があう。
それでも人類は増殖をし、このまま物理的な生産ばかり求めていくのであれば、この星の未来が暗いSF映画のようになる日が来ることになるのかもしれない。



そこでぼくは毎日のように考えている。
自分の息子やその子孫たちが生きるだろう未来について。
どこかで、この星と折り合いをつけていかなければならないのじゃないか、と。それはどういう折り合いか、一言で言うのは難しいし、個人がやって達成できるものではないけれど、政治や超大国にだけ任せているわけにもいかなくなったので、ぼくら人類、一人一人が新たな理想を掲げ、生きることや価値観の転換を目指していくしかないのではないか。
それは簡単なことではなく、大きな運動が必要になる。
破滅へと向かう星の運命を甘んじるのか、それとも人類がその問題に気が付き、今こそ、力を合わせて星の怒りをなだめ、おさめて行く時なのか。
こんなことを言葉にして、いったい、何の意味があるのかわからない。
マスクもせず歓楽の世界に身をゆだね、瞬間的快楽の中で生きるのも一生だし、自分のいない未来のために行動を起こすことも一生である。
この、静かに上昇し続ける海岸線でぼくは少し先の世界について考えてみた。遠くの砂地で、息子が未来を見上げている。

退屈日記「この地球は人間のことをどう思っているのか?」

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