JINSEI STORIES
滞仏日記「きっとぼくの人生は呪われている。思い出したら後厄だった!」 Posted on 2020/08/04 辻 仁成 作家 パリ
某月某日、ともかく、今年の夏も折り返し点を迎え、ついに8月に突入した。コロナで始まり、コロナは続行中の、最悪の2020年。それでもまだ息子の夏休みは一月以上も残っている。ずっと、誰もいないパリで息子と二人、秋を待つことになるのだろうか? 車でどこかに旅行でも行こうかな、と思い、工場にいつ直るのか、と電話したら、そういう車は見当たらない、と言われた。
そんなはずはない、とレッカー車出来た修理の人がぼくの車をお宅の工場に持っていくと言っていたよ、と半ばあきれた声で文句を言うと、うちは工場なんだから、販売店かメーカーに聞いてもらえます、と驚くべきことを言われて電話を切られた。何たる無礼な奴だ。怒って、メーカーの顧客サービスに電話をすると、今時の若者であろう、トッポイ兄ちゃんが出た。車検番号などを伝えると、その車は間違いなく工場にある、と言い張る。だから、ないんだよ、君が調べて連絡をくれ、と言ったが、売る時は下手なくせにこの対応は本当に酷いと思った。しかし、怒ったところで事態は変わらない。仕方がないので、本社に電話をし、文句を言ったら、ちょっとは話しの分かるマダムが出てきて、こちらで引き取ったのは間違いないので探します、と言ってくれた。リース代を払っているのに、こんな対応、酷すぎませんか? この10日あまりで3回もロードサービス頼んでるんですよ、動かない車をリースしちゃダメですよ、とさすがに小言を言ったら、あなたの言う通りです、代車を出させてもらいます、と約束してくれたのだけど、二時間待たされて再びその人から電話がかかって来て、バカンス時期だから、パリにうちの代車が一台もないの、と言われてしまう。
「あの、ぼくがこの車をリースしたのは、前の車がもう古いので、壊れない最新型の新車にしたら、と販売員に進められて、愛着があったし、まだ3万キロしか走ってない車だったけど、このままだとお金がかかると説得されたので、仕方なく下取りしてもらい、リースにしたんですよ。急いだのは、夏のバカンスに新しい車でフランスを旅するのが目的だった」
「本当に、それは残念です」
とセリーヌは言った。この人はぼくが電話をかけるようになって3人目の責任者だった。
「セリーヌ、どう思います?」
「わかりました。なんとかしますから、もう少しお待ちください。で、バカンスはいつから出かけるのですか?」
バカンスの予定は特になかったが、ない、と言ってしまうと、彼らは車を探さないと思ったので、金曜日にパリを離れます、金曜日です、と期限を区切ることにした。
「別に代車じゃなくても、ぼくの車のバッテリーを換えて電気系統直したら、走ると思いますけど、簡単なことでしょ? 直せば代車なんか必要ないんだし。工場にもう一度話しをしてみてくださいよ」
「それが、ムッシュ、実は、車がどこにも見当たらないんです」
ぼくは言葉を失った。どこにも、車が見当たらない? どういうことですか?
(この方、最初のロード―サービスのブルース・ウイルスさん。笑。懐かしいね。過去記事参照されたし)
「工場にはないのです。別の工場かもしれませんし、もしかしたら、まだロードサービスの倉庫とかに眠っているのかもしれません」
「そちらがすぐに直すと約束して、工場の修理担当まで見つけて、こういう流れになったんですよ。工場に修理をする人間を確保したら引き取る、と連絡があったんですよ。おかしいでしょ?」
「でも、とにかく、車が行方不明なの。パリ市内探し回って、必ず代車を見つけますから。そこは私を信じてください」
ぼくは何と答えればいいのか、分からなかったが、セリーヌから1時間後、モンルージュという郊外の街のレンタカー屋に一台、確保したので、すぐに取りに行ってほしい、と言われた。ぼくが暮らしている街からは、めっちゃ、遠い。環状線を超えないとならない郊外の街である。
「ぼくが? 自力で、パリ郊外まで行くの?」
「はい、タクシー代立て替えておいてもらえたら、それはうちが責任もって出します」
セリーヌからぼくの携帯にレンタカーの予約表が届けられた。そのメーカーの車じゃなかったが、やはりドイツ車の、うちの車よりもワンランクの上の車だった。ま、仕方がないので、文句を言わず、タクシーを呼んで取りに行くことになる。ところが、そこに行き、手続きをしていると、不意に、レンタカー屋のお兄さんが、名前が違うので貸せない、と言い出したのだ。
「え? どれ?」
見ると、TSUJIではなく、TSUJOとなっている。プジョーか、俺は?
ぼくは店の人に、ここまでなんだかんだ、一時間もかかったんだ、手ぶらでのこのこパリ市内まで戻れないよ。一字違うだけじゃない? ところがである。高級ドイツ車を借りれるはずだったのに、そこにドイツ車なんて一台もなかったのだ。その郊外のレンタカー屋はガソリンスタンドが経営している、かなりやる気のないレンタカー屋さんであった。その上、セリーヌには「オートマ車」しか運転出来ないと言ってあったのに、彼らが貸せると言い張る車は全て「マニュアル車」。ぼくはセリーヌに電話をかけ直すことになるのだけど、この電話、5分くらい、宣伝を聞かされる。繋がるまで、なぜか、宣伝オンパレードの最悪電話なのだ。客をバカにし過ぎてないだろうか。これまでの出来事が走馬灯のように頭を過ぎり、怒りがマックスに達して、ぼくは血管がぶち切れそうになった。やっとセリーヌが電話に出たので、状況を説明したが、ぼくの車と同じランクのドイツ車などはなく、日本車もなく、ランクで車を比較しちゃいけないのだけど、軽ではないがかなり小型のフランス車なら一台、貸せると言い出した。ぼくに選択の余地はなかった。力なく、電話を切り、店の人に、これまでのことを訴えると、
「セ・ラ・フランス(そりゃあ、フランスだからですよ)」
と言われた。あはは、ぼくは、つじょーだ。
(この方、二回目のロードサービス、ジャッキー・チェンさん。前の日記ご参照)
店の人はガソリンスタンドの外れの木立の下に並ぶ車の一つを指さした。ええええ、これかぁ。ご対面であった。しかも、バックミラーとかドアノブに蜘蛛の巣が張り巡らされている。誰にも借りられず野ざらしになっていた車で、フロントミラーには木の葉の山…。さすがにレンタカー屋のお兄さんは哀れに思ったのか、洗車は無料にしとくね、でも、悪くない車だよ、フランス車だし、と言ってくれた。この人のこの程度の優しさにも波が溢れ出そうなつじょーであった。くじょー。
「ボン・バカンス!(良い旅を)」
レンタカー屋のお兄さんとお姉さんがぼくに笑顔で手を振って送り出してくれた。思えば、ぼくが生まれた初めて買ったのが26歳の時のことだが、それもフランスの小型車だった。その時と変わらぬ一番小さな車である。原点回帰っ―、とぼくは叫びながらパリを目指した。しかし、一言言っておきたい。これが、とってもいい車だったのだ。乗り心地抜群。人は、いや、車は見かけによらない。ドイツ車ばかり乗って来たけど、ぜんぜん、悪くないじゃん。(※ドイツが嫌いなわけじゃありません。この流れから、どうか、寛大にご理解ください)じゃあ、この車でぼくは一人旅に出よう、と思った。息子からも、パリからも離れて、暫く、人のいない静かな世界に消えてやろうと思ったのだ。人生は転んだら、すぐに起きるな。何かその辺にあるものを拾い集めてから起き上がれ。これがぼくの哲学である。By TSUJO
(そして、三回目のロードサービスのジャック・コルソンさん、めっちゃ無口でした。計、3人のロードサービスの人と知り合えました。あの車は、いずこに)