JINSEI STORIES
滞仏日記「2週間の独りぼっち、ひとなり、どうする?」 Posted on 2020/07/06 辻 仁成 作家 パリ
某月某日、不意に息子が友だちのアンナちゃんと、そのご両親、その姉妹、その姉妹の友だちたちとベルギーとの国境に近い海沿いの村に旅行に出かけることになり、なにせ、それを知ったのがつい昨日のことで、慌てて寝袋やお土産を買いに走ったり、トランクに服とか歯ブラシとかを寝具類をパッキングをした。2週間ほどそこで共同生活を送るというので、田舎は感染者が少ないとはいえコロナあけのフランスで、送り出していいものかちょっと悩みながら、というのもアンナのお母さんとは電話で話しをしたけれど、どういう家庭かもわからないのに、息子を信じて送りだすのだから、悩まないわけがない。こういう時に相談できるパートナーがいないことは不安だ。息子はしっかりしているけど、まだ16歳なので、親としてぼくが判断をする必要がある。最終的に、アンナのお母さんのシルヴィがきちんとした人だったこと、ご夫婦で長年教師をされていて、子供たちを自然の中で育てることを毎夏の楽しみにしているということ、アンナとは面識があり、闊達な子だったことを思い出し、悩んだ結果、行かせることにした。
夏休み、今年はどこにも行く予定がなかった。EU内での移動は可能になったが、未だ、コロナの収束からは程遠い。とはいえ、育ち盛りの子を2ヶ月も家に閉じ込めるのは可愛そうだ。田舎で自然や動物たちと触れ合うのは悪くないし、こちらとしても助かる。正直、心配なのは、コロナだけど、昨日はパリの地下鉄職員の間でクラスターが発生したし、パリにいるよりは安全かもしれない、とむりやり自分に言い聞かせることになる。マスク10枚、手袋6セット、消毒ジェル2本、除菌シート1パックなどをリュックに詰め込んだ。お土産にピエール・エルメのマカロンとフランス版の「海峡の光」にサインをして持たせることにした。しかし、お父さんはいるにしても、18人もの女性だらけの合宿みたいな旅に参加したい、と言い出すのだから、ある意味、息子の成長ぶりに驚きもあった。それにしても、フランス人の家で2週間ということは、毎日、フランス料理を食べることになるわけで、白ご飯好きなあの子、大丈夫だろうか? とりあえず、最後の晩餐ならぬ和朝食を作って食べさせ、サンラザール駅まで送ることにした。
「アンナと君が一番年上だということだから、アンナのお父さんの手伝いとか、力仕事とか、率先してやるように。いいね」
「うん、わかった」
「着いたら、必ず、連絡するように」
「うん、わかった」
「電車の乗り継ぎとか、大丈夫だな? 車内ではマスク、手袋をちゃんとしなさい。ソーシャル・ディスタンス、忘れるな。君が感染したら、パパの方が危ないんだから、最大限の注意をして行動するように」
「うん、わかった」
家では大きく見えるけど、サンラザール駅前に立つ息子はまだ16歳の駆け出し青年にしか見えなかった。トランク、寝袋、マカロンを抱えて駅へと消えていく後ろ姿を見送ってから家路に着いた。すると、家のドアが、あかない…。
この半年間で5回の水漏れ、最も大きな水漏れが起きた玄関周辺の壁の湿度は100%、そのせいで扉がゆがみ、一昨日工事の人が直しに来たのだけど、鍵部だけがどうしても直せないと言い残して帰って行った。ドアに鍵をさしたが、クルクルと回るばっかでフックしない。何度やっても開かないのである。業者を呼ばないとならないが、日曜日なので管理会社も不動産屋も連絡が通じない。頼りの息子はダンケルクへ向かう電車の中だ。やれやれ、どうしたものか、と階段に座り込み、途方に暮れること一時間、そこに上の階のジェロームがやってきた。結論から言うと彼が開けてくれたのだ。「つまり、辻さん、これは鍵がバカになってるんですね」と言われた。部屋に入ったはいいが、よく考えると、外出が出来ない。ドアを閉めたら、また開けられなくなる。息子がいれば、中から開けて貰えるのだけど、いない。夕飯、どうしよう?
とりあえず、なんとかしてほしい、と大家とか不動産屋とか管理会社にメールを書いて送った。明日の朝、一番で大家に電話をして、すぐに鍵屋に来てもらうしかない。息子もいないし、ドアは開かないし、外出できないし、不意に力が抜けた。このアパルトマンで2週間、いったいこれからどうやって過ごせばいいというのだろう。息子がいれば、ご飯を作ったり、世話したり、目標がある。張り合いも出る。家事に疲れたとか不平を言いながらも、やらなければならないことがあることで、人間はとりあえず前に進むことが出来る。でも、一人になったら、自分のためにご飯を作るだろうか? 半月も一人で過ごさなければならない。長いロックダウンの後に待っていたものは孤独であった。寂しいなぁ。
しかし、寂しい寂しいと言っていても埒が明かない。人間はどのような環境に置かれようが、自分で自分を盛り上げるしかない。世界はコロナが蔓延して大変だが、大変だ大変だ、と言い続けてコロナを怖がっているだけじゃ、一生が大変に押しつぶされてしまう。このような閉塞的な時代だからこそ、楽しみを見つけ、生き甲斐を発掘し、人間らしく生きなければならない。息子がいないこの2週間、ぼくも夏休みを貰えたのだ、と思うようにして、人生の喜びを探してみよう、と思った。そうだ、今年は一度しかない。この夏も一度だけだ。ぼくは今日から人生の夏休みに入る。