JINSEI STORIES
滞仏日記「夏休み始まる。またまた、息子が急に言い出した」 Posted on 2020/07/05 辻 仁成 作家 パリ
某月某日、フランスは今日から夏休みに突入した。2ヶ月もロックダウンがあったというのに、今日から9月までさらに2か月の夏休みに入ったのだ。いったい、どうしろというのだ、と思いつつもまた昼飯の準備に精を出す父ちゃんであった。すると、キッチンに息子がやって来て、
「あのね、友だちの別荘に招かれたのだけど、行ってもいい? 夏休みだし」
と言った。
「え? どこへ? 友だちって、だれ?」
「あのね、アンナ、覚えてる? おじさんがダンケルクに大きな別荘を持っていて、毎年、アンナの友だちたちが招待されて、小型バスで行くんだ。2週間くらい。今年はぼくも招待された」
「アンナって? 女の子じゃん」
「当たり前でしょ? アンナって男の子いる?」
「パパ、会ったことあったっけ? 君のガールフレンドじゃない子だよね?」
「ガールフレンドは別の子、アンナは友だちだよ、女の子の友だち、いるじゃん、パパにだって」
こういう時、どういうリアクションをしたらいいのだろう?
「ほら、郊外に住んでるアーティストの子だけど、うちにも来たことあるよ。パパが、あの子はいい子だ、ちゃんとしてるって褒めてた子だよ」
「でも、2週間って、それは、どうかな? ロックダウンあけだし、女の子の家に泊るって、前もダメだって言ったよね? 覚えてる?」
「違うんだよ。家じゃなく、別荘で、20人くらい、いろいろな子が参加する。アンナの下の妹たちの友だちも、とにかく大勢だよ。アンナのお父さんとお母さんが引率する。夏休み恒例行事なんだ。アンナのお父さんは高校の数学の先生、お母さんは化学の先生。ぜひ、来てほしいって」
「男の子、君以外に何人いるの?」
「いない。男はぼくとアンナのお父さんの二人だけ」
「え? 18人は女性ってこと? ハーレムじゃん」
「パパ、なんで笑ってんの?」
ぼくは口を噤んだ。
「小学生、中学生、高校生あわせて18人、ぼくとアンナが一番年上になって、引率のお手伝いをするんだ。バーベキューの準備とか、買い出しとか、イベントやったり、親が先生だからボーイスカウトみたいな感じ。いいでしょ? だって、夏休みなのに、どこにも行く予定ないじゃない?」
「うーん、どうだろうね」
「アンナのお母さんにパパの電話番号をさっき伝えたから、もうじき、電話かかって来るはずだよ」
その時、携帯が鳴った。みると、見覚えのない電話番号だった。
「出て。アンナのお母さんだよ。シルヴィ。ダメなら諦めるから一度、話しをしてよ。それが筋というものでしょ?」
と息子が急かすように言うので、仕方なく電話に出た。ボンジュール、と温厚な女性の声が耳元をくすぐった。
「はじめまして、私はアンナの母のシルヴィです」
ここからはフランス語である。と書いたけど、ぼくのフランス語は超ダイナミック。なので、実際にはかなり片言だと思って読んでもらいたい。
「はじめまして、この度は息子がご招待いただきまして、ありがとうございます」
息子が笑いを堪えながら、ぼくを見ている。ぼくは息子に背を向けた。
シルヴィはちゃんとした人で、言葉遣いも丁寧で、ぼくを心配させないようにこの旅行の趣旨や、自分たちが毎年この旅行をなぜやるのか、その意義とか理由について、ぼくに説明をはじめた。その別荘はシルヴィのお兄さんの持ち物で、隣が牧場だ。海も5分ほどのところにある。自然や動物と触れ合いながら、生きることやエコロジーとかについても学ぶのだそうだ。アンナのお父さんが、そういうのが大好きで、3年ほど前からアンナたち3姉妹の友人たちを招いて続けてきたイベントなのだった。しかし、男の子が招待されるのはうちの子が初めてとのこと。ぼくは背後にいる息子を振り返った。息子が肩を竦めたので、ぼくも竦め返した。やれやれ。
実はいろいろと聞きたいことがあった。なんで、うちの子だけ男子が招かれるのか、とか、女の子の中に男の子が一人混じって大丈夫なのか、とか、ところがシルヴィがあまりに品のいいフランス語で間断なく語るものだから、口を挟むタイミングが計れずにいた。超いい加減なフランス語で割り込むことが出来ず、というか、恥ずかしくなり、ウイ、ウイ、トレビアン、と返事をするので精一杯となった。ウイ、ウイ、トレビアン、と息子が小さな声で真似している。くそ。
「素晴らしい。いいアイデアです。子供たちは自然と触れ合ってこそ成長をします。いい機会を作って頂き感謝します」
まるでロボットのような回答であった。ということで、ぼくは断ることも、質問をすることも出来なかった。集合場所とか、滞在先の住所とか、細かいことはSMSで送られて来ることになった。ぼくは物分かりのいい進歩的な日本の紳士を演じていた。微笑みながら、電話を切ってしまったのだ。そして、ぼくは携帯を睨みつけ、笑うのをやめた。
「え? 行っていいんだ」と息子が笑顔で言った。ダメと言えなかった、とは、言えなかった。
「そういうことだね、聞いてだろ? いい人たちっぽいから、許可するけど、よくわからないこともあった。いつから?」
「明日からだよ」
ぼくは驚き、息子の顔をにらみ返してしまった。
「明日? 明日か」
「うん。これから寝袋を買いに行かないとならないよ」
「寝袋?」
「ああ、大きな広間で、寝袋で寝るんだ。お金貰ってもいい? 」
ということで、息子は寝袋を買いに、ぼくは手ぶらというわけにはいかないので、ピエール・エルメのマカロンの詰め合わせを買いに行った。ぼくはこの7月の大半を一人でパリで暮らすことになる。結構、寂しい夏になりそうだ。