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滞仏日記「息子が家に居つかなくなって、ロックダウンが懐かしい」 Posted on 2020/07/04 辻 仁成 作家 パリ

某月某日、ここのところ、寂しい。シングルファザーゆえの悩みかもしれない。子供が週末はガールフレンドや仲間たちと遊びに出るようになり、晩御飯を一人で食べたりしている。今日の昼も、美味しいたらこをスーパーでゲットしたので、息子の好物のたらこスパゲッティを作ってやって、テーブルに並べ、
「ご飯だよー」
と大きな声で呼んだら、おしゃれな恰好でやって来て、
「あれ、これからデートなんだけど」
とぬかしやがった。ぼくの視線はテーブルの上に置かれたスパゲッティに降り注いだ。息子が、言わなかったっけ、ランチいらないって、とほざいた。
「ま、冷蔵庫に入れとくからお腹すいた時に食べればいいよ」
「おっけ」
「昼はどこで?」
「まだ決めてないけど、来々軒かな」
来々軒というのはオペラにあるラーメン屋のことだ。たらこはなかなか手に入らない貴重品なのだけど、仕方がない。

滞仏日記「息子が家に居つかなくなって、ロックダウンが懐かしい」



高校二年生の時の自分を考えれば、息子の気持ちもわかる。こういう風変わりな父親の相手をしながらご飯を食べるより、仲間たちやガールフレンドと一緒にいる方が楽しいのは当然である。それにしても、ロックダウンが解除された後、息子君、外出が多くなった。帰りも遅い。夕飯までには帰ると言って外出をし、戻ってくるのは夜の21時くらいで、それまでぼくも食べずに、テーブルに食事を並べて、サランラップをした状態で、仕事とかしながらなんとなく待ったりしている。一緒に食べたくない気持ちもよくわかる。ニコラ君とか、マノンちゃんが遊びに来るとなんとなく家が明るくなるけれど、新型コロナが流行してからはあの子たちの来る回数も減った。一人でたらこスパゲッティを食べながら、ついつい、ワインに手が伸びる。寂しさを紛らすために昼間から飲んでしまう。飲んだら昼寝、目が覚めたら買い物に行き、その後は寂しさを紛らわすために、そのままクリストフの店か、セドリックの店か、ロマンのバーか、エルベのワイン屋に顔を出し、管を撒いてる。ピエールとかアドリアンとかユセフだとかリコなど、代り映えしないいつものメンバーと。今日はフィリップ首相の退任と新しくやってきた新首相ジャン・カステックスの人柄について。ママ友が数人いるけど、恋人でもないのに、呼び出すのもちょっと変だから、チャットで彼女らとは仲良くさせてもらっている。人生相談にのってもらっている。とくに息子のことで、息子の恋人との向き合い方など…、悩みを聞いてもらっている。



たらこスパゲッティは美味しく出来たけど、それは冷凍して、夜は夜で和食を作った。というのも、何かやってないと手持無沙汰だからである。一日中、小説を書いたり、ギターを弾いてるわけにはいかないので、買い物に行き、夕飯を拵える。日常は規則正しく、というのがぼくのポリシー。八百屋に行ったら新鮮なグリーンピースがあったので、好物の豆ご飯を作った。息子はそれのおにぎりが好きなので、ちょっと面倒だけど、塩で小さく握った。あと、イワシを手に入れたのでオリーブオイルと生唐辛子で洋風の煮つけを作った。なかなか美味しく出来た。もう一品、タイバジルとコリアンダーがあったので、スープ代わりに小さなフォーも拵えてやった。握り飯にはフォーだろう、と独り言を呟きながら、危ない危ない…。ところが、20時を過ぎても、21時を過ぎても帰って来ない。しびれを切らして、どこほっつき歩いてるんじゃ、と日本語でメッセージを送ったら、
「今、彼女とわかれた。サンラザールだから、あと20分で帰る」
と戻ってきた。もう待てないので、ビールに口を付け、少しずつ食べて待つことになる。

滞仏日記「息子が家に居つかなくなって、ロックダウンが懐かしい」



21時30分に息子が帰って来た。市内で一日遊んできたので、ウイルスを家に入れないよう、持ち物、鍵、靴などを完全消毒。本人はそのまま風呂に直行させた。着ていた服は全てその場で洗濯機にぶちこんだ。結局、息子が食事をしはじめたのは22時過ぎのことである。
「どうだった?」
「うん、よかったよ」
「昼は来々軒か?」
「それがね、今日は休みだった。アキでカツカレー」
息子がパクパクと握り飯を頬張っている。美味しそうに食べてくれているので、超嬉しかった。
「パパ、写真、見たい?」
「え? マジ? いいのかよ?」
息子は携帯を取り出し、恋人との自撮りを見せてくれた。チュイルリー公園でデートしたようだ。やるな。ここだけの話し、少女漫画に出てくるような可愛い娘さんだった。アルバニアの血が混ざってるんだ、と教えてくれた。どこじゃ、アルバニア!息子はモテるみたいで、性格がよく、可愛いお嬢さんの友だちが多い。なんか、自分のことのように嬉しいのでいつまでも携帯をしげしげ覗き込んでいると息子がそれを奪い取った。なに、じっと見てんの? パパの恋人じゃないよ!
「いや、お似合いだなと思ってね。二人で一日中、何を話してんの?」
「将来のこと。この子は画家を目指している。ぼくはまだ将来で悩んでいるので、そういう話しだよ。年ごろのぼくらの悩み」
息子は携帯をポケットに仕舞った。そうか、とぼくは言って、自分が食べた分の皿などを片付けることにした。だいたい、これで一日は終わりとなる。ぼくは仕事場に行き、日記や小説やエッセイを書く。息子は自分の部屋に入り、まもなくすると、彼の仲間たちの声が響き始める。あの声は、ウイリアムとアレックスだ。青春真っ盛りで、いいことだった。これを寂しいと思うべきか、誇らしいと思うべきかで、この後の展開が変わって来る。ぼくは、誇らしい、と自分に言い聞かせ、今、こうやって日記に記している。きっとこれを書き終わったら、好物のウイスキーなんかを舐めながら、出来る限り小さな音でギターをつま弾くのだと思う。ちょっと寂しいけれど、悪くない人生だと、自分に言い聞かせながら…。

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