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滞仏日記「FaceApp(性別転換アプリ)、やってみた」 Posted on 2020/07/03 辻 仁成 作家 パリ

某月某日、子供の頃に「ぼくは誰だろう。ぼくはどうしてぼく以外の人間の気持ちがわからないのだろう。ぼくはどうすればいいのだろう。ぼくはいったい何だろう」と思ったその時の疑問が、実は、今日現在まで続いている。自分探しと人は良く言うけど、十代の頃、ぼくはこの「自分探し」という遊びが好きでならなかった。ぼくは本当に変った少年だったから、自分の扱いに苦慮した。死んでいてもおかしくないようなことを何度もしたし、この年齢まで生き続けることが出来たことは奇跡としか言いようがない。そこで、ある時、父に相談をしたことがある「父さん、ぼくはいったい何? 自分がわからなくて、おかしくなりそうなんだ」と、すると父は「ひとなり、考えるな」と言った。その手もあると思うし、実際に、考えるのをやめた人は多いと思う。もしかすると、こういう疑問さえ持ったことのない人がいてもおかしくはない。でも、ぼくは自分を突き詰めることをやめなかった。人間とはなんぞや。



一昨日、ZOOM会議があって、天野さんと野田さんと3人で話をしていたのだけど、生まれ変わったら何になるかという話しになり「ぼくは本当にもう生まれ変わりたくないのです」と言ったらみんなが笑った。いつもこの質問をされるたびに真剣に答えているのだけど、その都度、笑われてしまう。なんでだろう。そう言えば、来世の話しをするのが好きな知人がいて、ぼくはその人と話しをするのがちょっと昔から苦手。生まれ変わりたくないわけだから、つまり、当然来世への期待もない。むしろ心配しているのは無理やり死んだら、「はい、次はあなたこういう人になってね」とか空の上で言われたりするのは勘弁してほしい。来世に夢を見る暇がないし、今が精一杯なので、死ぬまで全力で投げ出さずに生きたいだけ。神様、いいですよね? それで…。やりつくすことが今生の使命だと思っている節もあり、今を疎かに出来ないから、ぼくには来世という概念が幼い頃からないのかもしれない。来世のために今の世の中を頑張って生きるのじゃなく、ぼくは今を生き切りたいから今を頑張っているのに過ぎなく、来世のためじゃないんだ、と友人に言ったら、また笑われてしまった。来世のために生きているだなんて、ぼくには考えもつかないことだった。あるのかどうかもわからない次の世界に、この大切な人生を傾けることも出来ないのである。人間とはなんぞや。

昼、カメラマンのエディと打ち合わせで会った。「流行ってるんだよ。ロシア製のアプリ。知ってる?」とFaceAppという性別転換アプリで女性になった自分の写真をいきなり見せられたので、めっちゃ強張った。その人、角刈りのスポーツマンで、50代のおっさんで、ごつごつされていて、アプリで女性に生まれ変わった顔は、それはそれは相当に衝撃的だった。ひ、髭がなくなってる!

いろんな人がやっているのをタイムラインの中にたまに見かける、あれだ。最初は女装が流行っているのかな、と思ったら、アプリだった。綺麗な人もいるけど、そこにみんな何を求めているのだろう。違う性別を生きてみたいという漫画的な願望があるのは確かだろう。違った人生を想像するのに確かにこのアプリは面白い。映画や漫画的で、流行る理由が頷ける。感染症の専門家、岩田先生のアプリによる女性顔がタイムラインに流れてきたのだけど、先生はどういう気持ちを相手に与えたいと思ってこれをアップされたのか、その心理に興味を持った。軽い気持ちなんだろうな、とは思うけど、似合いますね、とか、綺麗ィ、とか言われたいのかもしれない。とっても勉強になった。人間とはなんぞや。



ぼくもZAMZAというバンドの時にはメークしていたので、その当時の写真が結構出回っているけど、自分が変わる感じが楽しかったからわかる。メークをするロックミュージシャンたちは化身を待っている、もっと言うと、メークが降臨の道具なのだ。縄文から古墳時代に日本ではメークが始まっていて、その頃は呪術のための道具だった。祈祷師は目や口のまわりを赤い顔料で化粧していた。飛鳥時代には白粉が日本に伝わり、化粧が本格化するのだけど、ZAMZAのアメリカでリリースした「MANGA」というアルバムはその時代のメークを当時の顔料で施した。化身し、舞台で、自分を変える。あの赤は実は血の赤だった。

「ムッシュ・ツジー、ほら、これ、やってみてよ」
といきなりエディに写真を撮られてしまった。この人はぼくに何を期待しているのだろう。転換した写真は普通だった。
「あれ、ほとんど、一緒だね」
とエディが笑った。よかったというべきか、怒るべきか。人間とはなんぞや。

生きているといろいろなことがあるし、ぼくは基本が「変わり者」なので、そういう目で見られがちだけど、ぼくから言わせてもらうと、普通の人の方がもっと怖いことを普通の恰好で異常にやってのけている。人間の狂気って、外見だけではちっともわからない。刺青を入れている一見怖いロッカーの子たちだって優しい。ぼくの周りにはいろいろな人間がいる。この連中が揉めてもぼくは仲裁はしない。同じ考えでなければならないとは思わないからだ。ただ、ぼくはいつも彼らに問う。人間とはなんぞや、と。

滞仏日記「FaceApp(性別転換アプリ)、やってみた」

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