JINSEI STORIES
滞仏旅日記「フランスの田舎を巡る、行く当てのないバーチャル街道を行く」 Posted on 2020/06/24 辻 仁成 作家 パリ
某月某日、ロックダウン中、相当に神経を使ったので、もちろん、かなり疲労困憊してしまった。年ごろの息子が一日中、家にいるものだから、正直、家政婦のツジまでやらないわけにはいかなかった。仕事をしながらの家事とロックダウン、これは辻史の中でも後世に語り継がれるほどの大事件であった。ロックダウンが解除され、コロナウイルスへの予防や対策に自信が出来たこともあり、また、フランスの感染者、死者数が激減したこともあり、ぼくは自分を取り戻すための旅に出た。この日記をご愛読してくださっている皆さんも、日本から出られずにストレスが溜まっていることであろう。そこでネット上での「フランスの田舎バーチャルツアー」などいかがであろう。
行き当たりばったりの旅なので、何が起こるか分からないけれど、バーチャルツアーなら安全だし、きっとそれなりに気分もあがるはず。さしずめ、ぼくはガイドだ。人のいない夏休み前のフランスの田舎を巡ってみよう。ぼくはパリから北上する国道A16に入り、ドーバー海峡に接するカレーを目指した。TGVはこの辺りから海底に入り、英国へと向かう。でも、道が単調なうえに、目的がないのに、目的を持ってしまった予定調和な感じがつまらくなり、途中のアミアンのインターチェンジで、高速を降りてしまった。下の道をとにかく、感で海の方へとまっすぐに進むことにした。時間はかかるけど、その方が旅という感じがする。この時点でまだ宿は予約していなかった。昼少し前に、ぼくは名もなき給水塔に到着した。おお、かっこええ。
ぼくは灯台フェチだったことをこの給水塔を見上げながら思い出した。昔からアルバムのジャケットか本の表紙に灯台の写真を使いたかったのだ。そうだ、灯台の写真を撮りに行きたい。ということはやはりノルマンディとかブルターニュ地方がいいかもしれない。とりあえず、宿をとらないとならない。そこでネットで流行りの民宿(エアーB&B) を予約しようと試みたが当日予約をして泊れる宿はなかった。民宿は諦めてホテルを探すことにした。ホテルなら素泊まりが出来る。ちょっと大きな街なら、今はロックダウンあけでお客さんもまだ少ないので、泊めてもらえるはずだ。最悪は寝袋も持っている。
とにかく海に出たい、と思い北上を続けていると、素晴らしい場所に出会った。道の左右の大樹が茂って、葉っぱのトンネルを作っていたのである。ぼくは車を減速させ、道の路肩に停めた。おお、素晴らしい。緑葉のトンネルである。このトンネルを潜るだけで幸せになりそうな場所であった。絵になる場所である。
そして、そのトンネルを超えると、そこは雪国、いいや違った。海だった。ぼくはついに海に出たのである。おお、広々とした空に雲が模様を描いている。
ぼくは車に積んできたパラソルを刺し、ピクニックシートを広げ、そこにごろんと横になり、本を読んで小一時間過ごすことにした。家から出られなかったあのまる二ヶ月が嘘のようじゃないか。未知のウイルスで感染が拡大し、大勢の人がなくなった。学校は閉鎖、パリも閉鎖となった。もうダメだ、と思ったあの頃を思い出した。物凄いことを経験したのだな、と思った。マスクをして、手袋をはめ、サングラスをかけて、人を避けながら買い物に出ていたのは4月のことである。あれから、わずか2ヶ月後の世界は別世界であった。家にこもっていた人たちは再びこうやって外に出て、太陽を浴びるようになった。現実とも非現実ともわからない場所にぼくはいる。ぼくは息子に海の写真を送った。
「いいね」
と返事が戻ってきた。
「気を付けて、もう若くないんだからね」
それからホテルを予約した。ここから10キロほど西へ下ったヴレット=シュル=メールという村に小さなホテルを見つけたのだ。そうだ、何か食べなきゃ。海の家のようなカフェがあったので、そこに入り、スズキのポワレを注文したら、凄いのが出てきた。美味い! 新鮮だ。いつも息子のために作ってばかりだったのでこうやって誰かがぼくのために料理をしてくれるということに素直に感動した。主婦の方々が、レストランで食べたいと思う気もちがよくわかる。ご褒美のようなものだ。外食は主婦や主夫の精神状態を安定させるイベントになる。車の運転があるので、お酒はやめてペリエにした。それでも大満足であった。
結局、ぼくはノルマンディあたりを彷徨っていることが分かった。どことも言えない場所をぐるぐるとまわり、最後はナビにホテルの住所を入れて連れて行って貰った。星が2つしかない小さな海沿いに面した宿に入ったのは夜の19時を過ぎた時間で、周りには何もなかった。海沿いといっても道の横の絵にならない寝るだけの寂しい宿である。近くに原子力発電所がある。観光地とは言えないような場所だけど、観光目的だったらぜったいで会えないような土地だった。ぼくの部屋は屋根裏部屋だったけど、猫の額ほどのベランダがあった。雲が出てきた。海の近くなので、天候が安定しない。空を見上げた。カモメが飛んでいた。でも、悪くない旅じゃないだろうか?
もうお腹はいっぱいだから、運転もしなくていいので、バーにビールでも飲みに行こう。ついでにフリット(ポテトフライ)でもつまめれば十分。知らない村のいけてないカフェバーで、この辺りの人々に紛れて、微笑んでいよう。とりあえず、初日は終わった。店内にはダンスミュージックが流れていた。お爺さんとおばあさんしかお客さんはいなくて、若い人はいない、きっと過疎地なのである。懐かしいオールドソングヒットソングが流れていた。お爺さん、張り切って踊っている。こっちの人の踊り方はとっても独特で、あれはアメリカ人も日本人もやらないステップだけど、何風というのだろう。胸を突き出して、両腕を胸にくっつけ、左右に肩を揺さぶるようにして踊る。とっても滑稽なのだけど、味がある。ある程度の年齢の人はみんなこの踊り方をする。ぼくも真似をしてみた。白人のご老人たちから少し離れた場所で、一人ステップを踏む日本人のおやじ。ロードムービーっぽいね。年配のギャルソンが笑っていた。ぼくも笑った。明日は、朝早くここを出てもっと西へ向かってみたい。カーンとか、オンフルールとか、ル・アーブルまで足を延ばしてみようじゃないか。じゃあ、また、明日。