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退屈日記「あの人はいい人、と誰かが言ったら、まず疑おう!」 Posted on 2022/04/20 辻 仁成 作家 パリ

某月某日、今日はぼくより20歳くらい若い人の集まりに顔を出したら、
「辻さんもちゃらちゃら生きている人ですよね」
といきなり、背後から切り付けられた。
ぼくは、あはは、と笑ったのだけど、そう言った人も、笑っていた。
確かに、ぼくはよく「ちゃらちゃらしている」と言われる。
そういうつもりはないけど、世の中的には、そう思われてもしょうがないな、と反省することもよくある。
今日も、否定はしなかった。
「あれは誉め言葉だね」
その人たちと別れた後、ぼくと帰りが一緒だった知人にぼくは言った。
「辻さん、いいですね。そういう逆転の発想」
「あはは。だって、真に受けたら負けじゃない」
「でも、きっと誉め言葉ですよ。そうじゃなければ、あの人はきっと辻さんのことをみんなの前で褒めていたでしょうし」
「そうだよね。辻さんはいい人とか言われていたかもね」
あの人はいい人、と言われるよりは、チャラチャラしている人、と言われる方がよっぽどうれしいかもしれない。
それには、理由がある。

退屈日記「あの人はいい人、と誰かが言ったら、まず疑おう!」



ある時、ぼくは知人に聞いた。
あの人はどんな人なの? 
そしたら、あの人はいい人だよ、とその知人が言ったので、へーそうなんだ、と信じていたら、実はその知人にとってあの人はどうでもいい人だったということがあとでわかって、驚いたことがあった。
あの人はいい人だよ、とみんなが言うので、へーと思っていたら、みんなにとって、その人は、当たり障りのない、毒にも薬にもならない人のことだったりする場合が多かった。…
いい人、って、そういう意味で使うのだと長く生きていると、人間の怖さに気づいてくる。
辻さん、ほんとうにいい人だね。

表の顔と裏の顔はみんな違うので額面通りに他人の言葉を信じてはならない。
疑いたくないけど、本当のことを言わないで、全く思っていることと真逆のことを言う人が結構いるのがこの世界だ。
他人に期待をしてない人というのは、その人たちと揉めたくないから、あの人はいい人だから、という曖昧な言葉で無難に丸く収めて終わりにしようとする・・・。
しかし、あの人はいい人というのは、どうでもいい人のことを指すのだ。
いい人=害にならない人のことに過ぎない。
もしも、あなたはいい人だからね、と言われたら、あなたはどうでもいい人だからね、と言われていると思うべきで、褒められたと素直に思ってしまったら大変なことになる。
ちゃらちゃらした人、と言われたら、それは、チャラチャラした人だという意味だから、辻さん、ちょっと怒った方がいいでしょうね・・・あはは。

退屈日記「あの人はいい人、と誰かが言ったら、まず疑おう!」



もちろん、中にはまっすぐな人もいるので、その人が言うあなたはいい人に嘘はない場合もあるが、それはそう言った人がとってもいい人で誰とも揉めたくないので、まわりをみんないい人に仕立て上げていたりする、というだけのこと。
ぼくはひねくれものだから、あいつはクソだ、まったく阿呆で、どうしようもない、と言われている人とかが気になる。
考えてもみてほしい。いい人たちに何がこの世を動かせるだろう。
いい人が百人集まって世界が変わるだろうか?
どこまでも阿呆なやつが一人暴れた方が世の中は面白い。嘘が無い。
そいつがいい人たちの中で目立つから、誰かが封じ込めようとして排除したがって悪口を言われるに過ぎない。
ぼくはだから、ちょっとくらい変な人の方が人間味があって面白いなぁといつも思っている。
ちゃらちゃらした人でも、好きな人はいます。はい。笑。

退屈日記「あの人はいい人、と誰かが言ったら、まず疑おう!」



世の中にはあらゆる人にいいことを言う人がいて、ぼくが本当に苦手な人とも仲良くしていて、ぼくの前ではぼくの味方のようなことを言って、で、結局、あなたはどっちの味方なの、と訊いたら、ぼくは誰とでもうまくやれる人間だから大丈夫です、みたいに言われたことがあって、ぼくはまずその人と仕事をするのをやめた。
別に、全部を敵にする必要はなかったのだけど、八方美人が苦手で、誰とも揉めたくない人というのは、自分は誰とも揉めないと主張するのだけど、じゃあ、あなたは何を思っているのか、ということになると特に何も無かったりするのである。
ぼくは世渡りが下手でも、自分を貫いて苦しそうにはしているけど嘘のない人に気骨を覚える。
でも、そういう人は社会性がないということになって成功している人は少ないけど、別に、それで結構じゃないか、と思う。そういう人の方が面白い。

退屈日記「あの人はいい人、と誰かが言ったら、まず疑おう!」



そもそも、文句を言わない人=素晴らしい人ではない。
文句を言わない人は自分をあまり持ってない人じゃないか、とぼくは思う。
怒らない人=人間が出来た人ではない。
他人に興味が無い人、状況を面倒くさくしたくない人に過ぎない。
逆らわない人は奴隷であることを甘んじている人ということが出来る。
あとで文句を言う人は今判断が出来ない人なのだ。
今怒らない人はただずるずると事態を先延ばしするルーズな人。
疑うのは悪いことだとか、思う必要はない。
騙されてしまう人=優しい真面目な人ではないのと一緒だ。
なのでぼくは、あの人はいい人、とは言わない。
人を褒めたい時には、あの人は全く嘘のない人、と言う。
嘘がなければ、ちょっとくらい嫌なやつでも許してしまうのだ。

退屈日記「あの人はいい人、と誰かが言ったら、まず疑おう!」

自分流×帝京大学



ということで、今日も日記を読んでくださって、ありがとう。

大和書房刊「父ちゃんの料理教室」6刷りが決まりました。こちらも、ありがとうございます。プレジデント社刊「パリの食べるスープ」も好調なようです。あ、文春の「ちょっと方向を変えてみる」も・・・。笑。

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