JINSEI STORIES
退屈日記「ハッピーマン辻のスーパー・ポジティブ術」 Posted on 2020/05/28 辻 仁成 作家 パリ
某月某日、息子と歩いていた。すれ違う人がぼくをいつもじろじろと見るので、
「あのさ、パパってそんなにかっこいいの? すれ違う人がみんなパパのことをじろじろ見ていくんだけど、かっこいいってことでしょ? ジャッキー・チェンに似てるなって思ったのかな?」
と言ったら、
「パパは、幸せな人だね。ダサいアジア人が歩いてるって思ったとは思わないの?」
と息子が呆れたという顔で言い放った。
「パパのいいところはね、普通の人だったら、差別されたと悲観的に思うところを、自分に都合のいい方に解釈してしまうところで、そういう点では、尊敬するよ」
と言ったので、ぼくは笑った。息子も笑った。
ちなみに、ぼくらはスーパーに買い出しに行く途中だった。一週間分の食料を調達するのだけど、重いので荷物担当としてつきあわせたのである。
「あのね、でも、もしも、差別的な理由でパパを見ているとしたらね、あんなに長いこと目が合わないし、パパが最後に微笑みを向けると、可愛く照れて、笑顔でだいたいみんな、ボンジュールって言ってくれるんだ」
「パパ、病気だよ。それ、だれ?」
「だれって。みんなだよ」
「若い女の子じゃないでしょ? おじさんとか、ご年配のマダムでしょ? 違和感があるんだよ。わからないの? パパが圧倒的に変なんだよ。ロン毛で、変な恰好していて、しかも、変なマスク付けてさ、変なサングラスとか、そりゃあ、じろじろ見られるでしょ?」
「違うよ。ロックダウンになる前からずっと、そうだな、パリに渡って以降、毎回、すれ違う人たちがじっとパパを見るんだ。あれは差別じゃない、難しい日本語で言うと、センボウノマナザシっていうんだ」
やれやれ、バカじゃないの、と息子はフランス語で言った。
「パパはね、でも、そのままでいいと思うよ」
息子がスーパーで言った。
「何がそのままでいいんだよ」
「自分に都合のいいように解釈をするってことさ。つまり、それはポジティブってことかもしれないなって、思った。ぼくだったら、差別されたと思って家から出られなくなる。みんながぼくを差別してるって、日本人だから変な目で見られるって悪い方に悪い方に考えちゃうよ」
「なんで、そういう風に悪い方にばかり考える? 人生に幻滅しているのか? 百歩譲って、パパの勘違いが甚だしいとしよう。千歩譲って、みんなはパパのことをかダサい人だって勘違いしていたとしよう。でも、パパはそれをいい方に捉えて自分をハッピーにした。その結果、今日が楽しいし、外を歩くのが楽しい。ボンジュールって大きな声で言うと、みんな、クスクスと笑って、照れ笑いを浮かべて、幸せになる。パパは世界を幸せにさせる天才なんだよ。お前はそういうところを見習うべきだ。マイナスに考えて、自分を追い込んで生きるより、胸張って生きた方が断然いいじゃないか。一度しかない人生なんだから」
ぼくらは買ったものをレジに持って行った。馴染みのレジ係の年配のマダムにぼくは、ボンジュールと言った。そして、
「この店は品ぞろえがいいですよね。ほしいものがだいたい何でも揃ってる。ワインとか本当に厳選されたものばかり。あの、こいつ、息子です」
とぼくはマダムに息子を紹介したのだ。
「まあ、大きな、おぼっちゃん。はじめまして。あなたのパパが来ると店が明るくなるのよ」
ぼくは息子の頭を後ろからぱこーんと叩いておいた。いて、と言いながら、でも、息子は鼻の下をもぞもぞさせながら、笑いを堪えている。この子の嬉しい時の癖なのだ。
「マダム、この子に言ってやってください。スーパーポジティブに生きなきゃ、人生は微笑んじゃくれないよって」
「ええ、そうよ、パパの言う通り、いろんなお客さんがいるけど、あなたのパパはね、いつも一ついいことを言って帰るのよ。本当よ。たいしたことじゃないけど、そのちょっとしたことで、今日だったら、なんでも揃っていますねって、言ったでしょ。その言葉でみんなやる気になるんだから、凄いことよ。黙っているだけじゃ通じないでしょ。わからないじゃない、日本人のこと知らないし。でも、私はすぐにあなたのパパのことを覚えた。面白い日本人がいるよって、噂になった。みんな日本人にも愉快な人がいるんだって、思ったのよ。それはいいことだと思わない?」
僕はもう一発、息子の後頭部をぱこーんと叩いておいた。
「聞いたか、この麗しのマダムの一言を、スーパーポジティブで行け、息子よ」