JINSEI STORIES
滞仏日記「オペラで納豆を買う」 Posted on 2020/05/27 辻 仁成 作家 パリ
某月某日、ロックダウンが解除になり、自由にどこにでも行けるというのに、ぼくはずっと家から出ないで、出ても近所に買い物に行く程度の日々を過ごしていた。ロックダウン生活が板についてしまったのである。そう言えば、車を買い替えたばかりだったことを思い出した。納車された翌月、ロックダウンになってしまった。乗らないと車が可哀そうだな、と思って、今日は久々、車を運転することにした。いったい、パリはどうなっているのだろう、再び、世界のパリに戻ることが出来るだろうか、ちょっと調査を兼ねてドライブをしてみることにした。気持ちのいい月曜日。ドライブ日和りだったが、息子には、いやだよ、一人で行っておいでよ、と断られてしまった。
新しい車は小型車で、小回りが利く。パリのような路地の多い街には快適であった。ほったらかしにしておいたのに、エンジンはかかった。よし、レッツゴー。運転している最中は、写真がとれない。というのか、運転席にいる人間が携帯を持っているだけで、見つかったら免停になる新しい法律が決まった。免許を取り上げられたら、お手上げである。でも、最近の車はどこにマイクが仕込まれているのか知らないけど、スピーカーホンが内蔵されている。
「パパ、どう?」
「快適」(どこから声が聞こえてくるのか、分からず、きょろきょろ探してしまった)
「オペラに行くなら、納豆買ってきて」
「納豆、了解」
6区のサンシュルピュス教会に到着したので、ちょっと車から降りて散歩をしてみた。サンジェルマン・デ・プレ界隈の、長閑だけど、文化的な空気感が好きだ。この辺にかつて幾つかのジャズクラブがあって、若き日のマイルスデイビスらが演奏していた。ぼくが好きな作家のボリス・ヴィアンなんかも出入りしていた。最初にパリに入った2001年に借りたアパルトマンがオデオン駅の真ん前で、サンシュルピュス教会の裏手にあった。そこには3か月ほどしか住まなかったけど、ポエジーな街だった。教会の前には噴水があり、子供たちが大勢遊んでいた。2ヶ月も家の中に閉じ込められたのだから、当然である。短い映像を撮影したので、ごらん頂きたい。
自転車やキックボードに乗った子たちが噴水の周りをぐるぐると回るだけの映像だけど、さわやかな風が流れ、幼い子の声が弾け、街のノイズも何もかもが心地よかった。噴水の向こう側にカフェが一軒あり、そこはぼくのお気に入りだった。こうやって歩き回って、昔はよく詩を書いたものだ。「サヨナライツカ」の冒頭の詩もパリで生まれた。見上げると教会の尖塔が空にささっている。生きているよ、ということだ。サヨナライツカ、というのは、今があまりに愛しいということなのだ。だから、別れが辛くなる。生きていよう、という詩である。
再び、車に乗って、セーヌ川沿いを走り、シテ島、サンルイ島をぐるぐると回ってみた。息子に電話をしてみた。
「やっほー、パパだぞー」
「どこらへん?」
「ノートルダムが見える。去年はチャリティコンサートやったな」
「そうだったね、まだ、工事やってないのかな」
「どうだろうね」
「あ、パパ、納豆忘れないでね」
「納豆、了解」
石畳の小さな路地があり、ノートルダム寺院の前に出た。まだ、焼け落ちたままの状態だった。工事が再開されたというニュースを聞いたような気がしたけれど、誰もいなかった。写真を撮ろうか迷ったけど可哀想なのでやめた。コンニチハイツカ、でいいのかもしれない。
バスティーユ広場をぐるっと一周し、それから、ピガール地区に立ち寄り、モンマルトルの丘を大きく回り込んで、サンマルタン運河沿いを抜け、オペラに入った。パリは、環状線の内側だけならば、世田谷区くらいの大きさしかない。だから、あっという間に一周出来てしまうのだ。ガラガラだった。人もあまり歩いてない。ロックダウン前はあんなに観光客だらけだったというのに、走っている人が数人見えるだけ。ブティックなんかも一応開いているけど、客はゼロ、開店休業状態であった。ぼくは車をJUNK堂の前に停めて、歩くことにした。そうだ、納豆だった。オペラで納豆を買うんだ。
しかし、この恰好、怪し過ぎないだろうか? 戦隊ものの悪役のようなぼく。でも、誰も気づかない。
「すいません、納豆ください!」
オペラで納豆を買った。
この響きがちょっと素敵じゃないか。オペラで納豆、アンバランスだけど、響きがいい。おかしくなって、ふき出してしまった。オペラで納豆を買う。今日、この瞬間、怪しいマスク姿で日本食材店に入り、納豆を一パック(3個入り)買って帰る日本作家は、多分、ぼくだけだろう。オペラで納豆を買うことが、これほど重要な意味を連れてくるだなんて、想像したこともなかった。大通りに出て、中央分離帯に登った。遠くにオペラ座が見えた。車があまり走ってなかった。ロックダウンが解除になったが、ここに人が戻ってくるのは、そして、パリが元通りの「世界のパリ」に戻るまでにはまだまだ時間がかかりそうである。でも、この人の少ないオペラ通りは悪くない。
ぼくは市内をぐるぐると走り回ってから、自宅に戻ることになる。セーヌ川を渡る途中に見えた夕陽があまりにも美しかった。
「パパ、お腹すいた」
「納豆、ゲットしたぞ」
「やったー、二ヶ月ぶりの納豆だ!万歳」
「日本万歳!」
ぼくはアクセルを踏み込んだ。