JINSEI STORIES
退屈日記「パリがやばい、緩みまくっている。修羅場をみた」 Posted on 2020/05/22 辻 仁成 作家 パリ
某月某日、散歩に出たら、物凄い光景に出くわした、知り合いのカフェが営業していたのだ。営業???? そんなはずはない。まだ、政府はレストラン、カフェの営業を許可を出しておらず、少なくとも6月2日以降までになんらかの営業再開方針が出て、といってもそこから即座に営業が出来るわけじゃなく、多分、最低でもカウンターに客と店員とを分ける透明の板壁などを作らないとならないはずで、ある程度の工事をしてからの再開となるはず。しかし、このカフェは堂々と営業しており、通りにテーブル席が出ていて、人だかりだった。店の外に溢れた客が15人くらいおり、ビールやスピリッツを飲んでいる。びっくりして、恐る恐る近づくとその中にピエールがいた。
「よー、ツジー」
と笑顔でウインクをされたけど、恐ろしいことに、誰一人マスクを付けていない。まるで、ロックダウン前の光景そのものであった。
「何やってんの? 営業許可下りたの?」
訊き返すと、ピエールは肩を竦め、首を左右に振った。
「下りてないのにやってるの? 警察くるんじゃないの?」
後ろのテーブルでカップルが手をつないで語り合っている。信じられない光景であった。
「あのね、からくりがあって、持ち帰りは許可されてるから、ピザと飲み物は売れる。で、中で買った人が店の外で何やっても店には関係が無いというスタンスなんだよ。だから、見て見ろ、グラスじゃなくてプラスティックのコップで飲んでる」
「そんなの屁理屈だろ? これは立派な営業だよ」
するとそこに経営者の一人、エリックが出てきた。
「よお、なんか、飲むか、ツジー」
不意に訊かれたので、ダイエット中だったけど、ウイ、と言ってしまった。エリックが店員のパトリックに、ツジーにビールを、と叫んだ。
「サイズは?」とパトリック。
「けちけちするな、一番でかいやつだ」
ぼくは怖くなったけど、快晴だったし、とりあえず、買ったわけじゃないし、取材活動だし、ここで飲まないと仲間外れになりそうだし、プラスティックのコップだからいいか、しかも、ここは店の外だし。雰囲気に思わず流されそうになった。
エリックは口元を緩めて、言った。
「警察官次第だよ、つまり、意地の悪い警官だったら最悪の場合もあるけど、持ち帰り客が勝手に外で飲んでるだけ、とうちとしては説明するので、許してくれる可能性は高い。でも、こっちも2か月も営業出来なかった。持ち帰りは許可されてんだから、ギリギリの判断でやってる」
するとそこに犬猿の仲のムッシュ・ピンハがカメラを持ってやって来て、この様子の撮影を始めたから、さあ、大変。一気に険悪なムードになった。エリックが不意に怒り出した。隣は小さなホテル、こちらは若者に人気のバーで深夜まで大騒ぎ、「うちの客が眠れないんだ。外で飲ませるな」とムッシュ・ピンハは何度も怒鳴り込み、その都度、警察沙汰になっている。ピンハ氏は若いスタッフを連れて通報するために写真撮影をしている。エリックはパトリックとともに応戦を始めた。もう、喧嘩に近い。
「なにやってんだよ」
「警察にちくる」
「何もやってねーよ。客が勝手に店の前で飲んでるんだ」
「みんなルールを守ってる。お前だけ許されるか試してみようじゃないか」
「この野郎」
「おっと、暴力反対、刑務所に行きたいのか?」
ぼくはそっと通りの反対に退避した。すると、哲学者のアドリアンが通りかかった。彼もここの常連なのだ。じっと、その光景を見つめて、
「こういうのもコロナの被害の一つなんだよ。人類が分断されていく」
と呟いた。
ぼくは巻き込まれたくないので家に帰ってテレビを付けた。一昨日の日記に、若者たち数千人が芝生に座ってワインを飲んでいる光景の写真を掲載したが、その全く同じ場所がテレビ画面に映し出されていた。実況生中継されていたのである。マスクをした警察官たちが、車座になっている若者たちに「社会的距離」をとるよう、注意をうながしている。その模様をカメラが追いかけていた。コメンテーターのおじさんが言った。
「しかしね、しょうがないですよね。2ヶ月も家から出られなかったんだ。これを家の中でやられたらもっと危険だし、外だから大目に見ないと、爆発しちゃう。夏だしね。締め付けると国民の不満が出てくるだろうし、政府の難しいかじ取りは続きますね」
なるほど、と思った。エリックたちも、政府の顔色をうかがいながら、ぎりぎりの営業に踏み切っているということだろう。日本だったら、出来ない。真面目な国民たちは法的な拘束力がなくても従う。フランス人が真面目じゃないとは言い難いけど、従わない人は相当数いる。7千人いた集中治療室の患者は医療従事者の皆さんのおかげで千人まで減った。1日千人亡くなっていたのに今は百人前後、どんどん減ってきている。あと少しなのに、残念なことだけど、再び感染拡大をする可能性がある。ダイエットで言えばリバウンドなのだ。