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滞仏日記「すずらんの白く小さな花に託された思い」 Posted on 2020/05/02 辻 仁成 作家 パリ

某月某日、今日は大切な人たち、親とか、愛する人とか、すごくお世話になった方々にすずらんを贈る日であった。世界的にこの風習が広まっているけれど、発祥はここフランスである。貰った人には幸福が訪れるという言い伝えがある。今日、ぼくと息子のもとにもすずらんが届けられた。一つはニコラとマノンのお母さんから、もう一つは親しい友だちとDSでも記事を書いてくださった花屋さんから、あ、リサとロベルトからも届いた。ニコラのお母さんはポストの上に置いといてくれた。ここのところ、ロックダウン生活に追われていたので、今日が「すずらんの日」であることをすっかり忘れていて、立て続けに届いたので、ちょっと幸福だった。ワイン屋のエルベからと息子の親戚のおばさんを自称する香港人のメイライ、ママ友たちからはすずらんの花の写真が届けられた。幸福が訪れるのかな、と思ったら、ちょっと泣けてきた。

滞仏日記「すずらんの白く小さな花に託された思い」



すずらんで思い出したことがある。ぼくは小学校の六年生から中学二年の終わりまで帯広市で過ごした。帯広市西二条南5丁目の交差点の傍に父の勤める会社兼住宅があったのだ。そこから車ですぐ、十勝川を渡ったところにすずらん公園があって、家族ですずらんを見るために行った。ぼくはグーグルマップを開いた。五丁目の交差点に電動家具の反町というお店があったことを思い出したのだ。グーグルマップに「帯広市西二条南五丁目」と入れたら、次の瞬間、ぼくはその交差点に立っていた。写真をクリックし、歩いてみることにした。反町さんのお店、まだあった。しかもすっごく立派になっている。そうだ、拙著「そこに僕はいた」に登場してもらった同級生の小沢良貞君の店、当時は帯広で一番大きな金物屋だったけど、あるかな。帯広駅の方へと歩いてみたが、見つからなかった。ネットで調べると、デパートの中に「リビング小沢」が入っていたので、それかもしれない。ぼくが通った帯広小学校が西二条南五丁目のすぐ近くにあったことを思いだし、ぼくはUターンした。でも、そこは公園になっていた。移転してしまったようだ。ネットで調べると、ぼくが通った頃の学校とは全然違う立派な小学校が出現した。あれから半世紀近く経っているのだ、当然であろう。「そこに僕はいた」はいくつかの教科書に掲載された。あそこに出てくる、小沢君や、有沢君や、斎藤君、渡辺さん、戸田君(戸田君は一度札幌で会ったっけ)、は実在の人物なのである。本当に小さな子供たちだったのに、もうみんな還暦か、と思うと不思議過ぎる。それにしても、すずらんの本当に似合う町だった。そして、当然だけど、そこに僕はいた、のだ。

滞仏日記「すずらんの白く小さな花に託された思い」

※グーグルマップで思い出旅行に出かけた。奥の大きなホテルの場所にぼくの父が務める火災保険の会社があった。



そして、今日、悲しい知らせを聞いた。ぼくの知り合いのご主人がコロナでお亡くなりになったのだ。ご高齢のフランス人画家、奥さんのKさんはキュレーターをされている。Kさんとはぼくも面識があり、大変、お世話になった。今日、すずらんを届けてくれた友人が教えてくれた。その足で、Kさんのところにもすずらんを届けるのだという。その小さな花が一人になったKさんを励ましてくれることを祈りたい。ぼくは頂いたすずらんを窓辺に置き、手を合わせた。世界中で、不意に大切な方を失った人たちの心に、そっと寄り添うために。

滞仏日記「すずらんの白く小さな花に託された思い」

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