JINSEI STORIES
退屈日記「度重なる水漏れで湿った壁がやばくなり、ついに大規模な乾燥工事が」 Posted on 2021/12/23 辻 仁成 作家 パリ
「パパ」
ごろごろしていたら、息子が寝室のドアをノックして言った。
あいつがやって来るのは珍しいので夢だろうと思って寝ていたら、
「パパ」
と現実的な声にたたき起こされた。
「どうした?」
「また、壁が落ちた」
「えええ?」
慌てて、飛び起き、息子の部屋に行くと、子供部屋の入り口のところに天井の破片が散乱していた。
最初の水漏れから二年以上が過ぎている。さすがに堪忍袋の緒が切れた。
ぼくはすぐに大家に電話をし、
「家賃払ってるのに、ずっと、この調子じゃ、落ち着いて暮らせないですよ。なんとかしてくださいよ」
とクレームをつけた!
「怒るのはごもっともです」
「そう言って、二年も過ぎてる。何もしないのは、おかしい。あなたは大家でしょ?」
「わかりました。すぐに工事業者を派遣します」
ということで、今日、工事業者がやってきたのだ。
どういう工事業者かわからないけど、朝の九時に若い工事人が二人来て、作業を開始した。
「こんな簡単なことなのに、二年も放置されてたのか」
とぼくは、てきぱきと働く業者の人を見つめながら、日本語で文句を言ってやった。
言う権利があると思う・・・
五か所の水漏れ、この二年間、打つ手なしで、ついに、壁は湿度100%なのであーる。
工事業者さんがいろいろと機材を運び込んで、ドリルみたいなもので、わおー--ん、わおー--ん、と、ものすごい勢いで壁紙をはがし始めたのだった。
そして、農作業器具のような機械?を取り付けたのであーる。
「なに?」
大規模な工事なのに、2時間くらいで、作業が終わり、
「これでしばらく様子をみましょう」
とその連中は言い出した。
「様子をみる?」
「ええ、まず、壁の湿度を下げる必要があります。そうじゃないと、工事が出来ません」
うーん、うーん、と唸る赤い機械がぼくの足元で騒いでいる。
そして、壁を覆ったセロファンが揺れている。
どうやら、温風をそこに注ぎ込んで、壁をまず乾燥させようとしているようだ。
「これが終わらないと工事がやっぱできません」
「どのくらい? 壁が乾くのに、どのくらいかかるの?」
「そうですね、とりあえず、この状態で約3週間から一か月・・・」
「は? こんな騒音を毎日、3週間も?」
男は苦笑した。
「これ、すごい電気代がかかるんじゃないの?」
「かかりますが、その分は大家が支払います」
「は? どうやって、この電気代と区別できるの?」
「さあ、ともかく、ぼくらにはそれしか、方法がないんですよ」
「マジか。そのあと、元通りになるのに、また、工事があるんでしょ? どのくらいかかるの?」
「工事は二か月びっしり」
ぼくは、目をつむった。二か月!!!!
だめだ。受験が終わり、彼が大学に入るまでは工事をさせるわけにもいかない・・・
「わかった。君たちに責任はないから、今日はほっといてほしい」
やれやれ、振り出しに戻った。
でも、とりあえず、壁を乾かすのが先であろう。大家との話し合いはそのあとだ。
※ 温風機のうしろに扇風機があって、とにかく、やかましい。
「うるさければ、夜は消してください」
と業者さんは言った。やれやれ・・・。
とにかく、このボロボロ・アパルトマン、息子が大学に入るまでは引っ越せない、それだけは譲れない。
この建物が壊れようが知ったこっちゃない。
息子の受験が第一なのだ。
ここまでほったらかしたのだから、何か、方法はあるだろう。
今は、こうやって、ごまかしごまかしやっていくしかないのである。
仕方がないので、気分をかえるために、とりあえず、家具の配置換えとか、大掃除をやることにした。
書棚をちょっと動かし、ソファを少しずらし、もろもろ動かし、思い切って必要ない本や書類は捨て、椅子の上に積み上げられたままになっていた服(?)などを収納に戻し(笑)、壁沿いに並んだブーツも下駄箱に仕舞い、邪魔な家具などは地下室に片づけたところ、不意に、アパルトマンが広くなり、なんとなく、風通しもよくなった。
「とりあえず、今年はこれで乗り切ろう」
気分が変わったら、塞ぎがちだった気持ちも解放された。
昼食後、窓を全てあけて、風を流し、今度は床拭きとか、排水管の消毒とか、大掃除を行った。
それが終わる頃には、ふさぎがちであった気分も、多少、変化していた。
ぼくは還暦越えなので、こうやって、家を見回すと、なるほど、還暦作家が暮らす風情がそこかしこに漂っている。
若作りしていても、家の家具などの趣味から、その年齢がばれてしまうというわけだ。
家はぼくの心を映すデザインということになる。
ぼくが一番好きな場所はこのソファだ。
ここで寝転がり、窓から差し込む光りを浴びている。
息子の部屋は北側にあるので、息子も時々ここに日光浴にやってくる。
ここは辻家のカリブ海のビーチみたいな場所で、窓を開けると広大な青い海が広がっている。(あくまでイメージです)
海風の気持ちのいい部屋だ。
ここはぼくのバーで作家仲間、詩人のマラルメとかフランソワ・モーリャックとかプルーストやデュラスとかサガンなんかもやって来て、毎晩、わいわい盛り上がっている。
昨夜はジャン・コクトーがサルバトール・ダリを連れてやってきて、ダリが自慢の髭を触らせたがるので、大変だった。
サルトルも来たことがあるし、映画監督のゴダールもしばしば顔を出す。(あくまでもイメージです)
作家というのは基本家で仕事をするので、ここが会社であり、寝るところでもある。
コロナ戦争になる前からぼくはずっと、ずっと、ずっとテレワークをし続けてきたので、ロックダウンに関係なく、家に居る方が圧倒的に長い。
そういう意味では、ここは店舗であり、ぼくの会社でもある。
その中でもキッチンが好きなので、キッチンにいると、心が落ち着く。逆を言うと、気が付くとキッチンに立っている・・・。
煮込みをしながら、丸椅子に座って、詩集とか眺めている。
ぼくの本の読み方はちょっと変わっていて、いつも同じページばかり、繰り返し眺めるのだ。
正直言って読み切った本は少ない。行間が好き。人生と一緒である。
欧州で出版された自分の本ばかりを収納した本棚の前に革張りのレザーベンチソファがぼんとおいてあって、ここでごろごろしながら小説の構想を練っている。
昼寝のスペースで、ベッドだと本格的に寝てしまうけど、ここだと長くは寝られないので、夏とかは皮が心地よいので、午睡の部屋と呼んでいる。
たまにここで息子もごろごろしている。
本当はフィンユールの椅子が欲しかったのだけど、めっちゃ高額なので、60年代くらいのデンマークの椅子をダノア(デンマーク人)のアンティーク屋から買った。
きちっと座る椅子と呼んでいる。
この椅子に座ると、誰かと語りたくなる。
最近はここがぼくの家のサテライトスタジオみたいな役割を果たしていて、ここの前にある年代物のテーブルにパソコンを置いて、スカイプなどで、日本のテレビ番組などにここから顔を出している。
パリに入る前年には仮のアパルトマンを借りて移住の準備をしていたので、気が付けば、在仏20年選手になった。
人生の3分の1はここで暮らしているのだ。
ぼくはエトランジェ。
ジャン・コクトーが言った。
「今度、フジタを紹介してやるよ」