JINSEI STORIES
滞仏日記「恐れないで! ロックダウンの意外な日常生活」 Posted on 2020/04/01 辻 仁成 作家 パリ
某月某日、西村再生相は「緊急事態宣言は欧米都市でみられるロックダウンとは異なり、都道府県知事がイベントや施設の利用制限を指示するもの」だと説明。「強制力や罰金を持たず、緩やかな手法で感染症を封じこめるもの」ということらしい。実際に出てみないと比較はできないが、フランスの外出制限とは違うようだ。
日本の皆さんに、辻家は大変なことになっていると思われているようで、(なっているのだけど…)音信のなかった人からも「大丈夫?」とメールが届くようになった。不便なんでしょ?家から出れないんでしょ?辻さんと息子さんの精神状態が本当に心配です、というような…。そこで、今日は昼食後、ぼくが買い物に出かけた午後のひと時を写真日記風に掲載し、一緒に外出制限下のパリを歩いてみたらどうかな、と思った。皆さんがイメージしているロックダウンと一致するだろうか。もしも東京がロックダウンされたなら、きっと、パリのよりもさらに緩やかなものになるのじゃないか、と想像している。そう思いながら、この先を読み進めてほしい。
東京圏「東京都、神奈川、埼玉、千葉」の人口は3000万人、東京都は1400万人くらいだろうか。パリ市の人口は約215万人、パリを中心に置くイル=ド=フランス地域圏は1221万人である。(パリ市の大きさはだいたい東京の山手線の内側と同じ)メガシティ東京とパリ市を比較するのはちょっと無理があるけれど、でも、一つのシュミレーションにはなるかもしれない。ちなみに、ロンドンは890万人なので、どちらかというとロンドンの方がパリよりも東京に近いと思う。東京がロックダウンをするならば、ロンドンが現在行っているロックダウンの方法を模範にするかもしれない。ロンドンの方が、パリの制限よりも緩やかだということを聞いたことがある。これは規模感の差もあるだろう。武漢の人口は1108万人なので、東京と並んでいる。武漢のロックダウンのインパクトが大きかったので、どうしてもあのイメージが頭から離れない。あれだけの大規模な強制力の強い封鎖や統制のとれた集団的隔離は社会主義の国にしかできないことかもしれない。
さて、午後、ぼくは一人で買い物兼健康維持のための散歩に出かけることになった。びくびくしないで、よければ、ぼくと一緒に散歩でもどうでしょう? こんなに遠くまで歩いていいの? とか、買い物も自由なんだって、分かってもらえるかもしれないしね。
今日、パリは快晴だった。スポーツをする場合、その範囲は1キロ以内、1時間以内と制限されている。普段意識したことがないが半径1キロというのは意外にも広範囲だった。しかも、買い物は距離の制約がなく、自由に買いに行くことが出来るようだ。(ようだ、と不確かに書いているのは、急なロックダウンだったので、細かい内容が日々、少しずつ変更になるから。罰金が日ごとにどんどん跳ね上がっていったように) ともかく、なんとかなるだろう。お酢とか、味噌とか、醤油とか、日本人に必要なものを買いに行くのだから、許して貰えるはずである。(この時点で、不確か) ともかく、ここは暗いけど、パリは快晴だ、出かけることにしよう。
少し離れたところに和食材も置いてある大きなスーパーがある。そこまでキャリーバックを引きずって行ってみることにした。家を出ると、快晴だからか、あれれ?? いつもより多くの方々がジョギングや散歩をしている。この景色はロックダウンになる前となんら変わらない。ちょっと心配になった。今日はいつもより、人出が多い。これじゃ、大統領が怒るのも無理はない。子供連れのお母さん、走り回る子供たち、犬の散歩をする人など。こういう景色をみたら、日本の人たちはロックダウンについてどう思うだろう。
ちょっとセーヌ川も見てみたい。行ってみましょう。どっちにしてもスーパーはそっち方面なので、健康維持も兼ねて。実は外出証明書には外出理由の項目が分かれており、最初の頃は一つしか印をつけることができなかった。でも、昨日、隣人のピエールから、二つ印付けてもいいんだぞ、と教えらえたので、恐る恐る買い物と散歩にバツ印を付けておいた。だから、大丈夫。きっと、セーヌの雄大な流れを見たら気持ちが落ち着くはずだから。
セーヌ河畔は立ち入り禁止になっていたが、近くまではいくことが出来た。観光客がゼロ、鴨が独占している。外出制限が出てから、パリは動物たちの天国となった。鴨、うさぎ、きつね、…あ、どぶネズミなどなど…。さすがにここはあまり人がいなかったので、立ち止まらず、スーパーへと向かった。
お、見て。ベンチの上に何かある。近づいて覗いてみるとそれは本だった。これは「どうぞ、読んでください」という青空古書店みたいなもの。読まなくなった本をこういう晴れた日に、置いておくと誰かが持っていく。昔からの風習だけど、新型コロナのことを考えると、手が出ない。全頁を消毒するのが面倒くさい。
あ、通りの反対側の一階の家の窓辺で日光浴をしながら本を読んでいる少女がいた。ベランダといえるほどの広さはなく、出窓のような狭いスペースだけど、でも、すっぽりと収まって気持ち良さそうだ。ラジオをかけながら、活字の世界に潜り込んでいる。あそこは家の中ということになるのかな。何時間でもいられるし、グッドアイデアだね。自分なりのロックダウン生活をエンジョイしているいい例かもしれない。
お直し屋のショーウインドーに可愛い人形たちがいた。フランス人は服を大切に着続ける。お母さんから受け継いだ服を自分のサイズに直して娘が着てたりする。こういう店で服を直してもらうのだ。
八百屋が開いていた。店先に並んだミカンの上に黒い鳥が舞い降りた。フランス名はメルル(日本名はクロウタドリ)という。店主がやって来て、あいつ、奥の葡萄を狙ってるんだよ、と言った。どこのミカン? スペインだよ。甘くておいしいよ。ぼくと店主は結構な距離(ソーシャル・ディスタンス)を保っている。フランスでは1メートルの距離を保たないとならない。イギリスでは2メートル。くしゃみが飛ぶのが5メートルと言われているので、人が近づいてくると5メートルくらい逃げ回っている人もいる。ぼくは2メートルかな。ちなみにぼくはマスク、眼鏡、ハンチングに衛生手袋までしている。これで感染をしたら、世界中が感染者になるだろう。もちろん、買ったミカンは消毒剤で洗う。生野菜は不確かだというので、今は食べない。野菜はすべて火を入れるか、茹でている。
さあ、スーパーに着いた。和食材コーナーにキリン、アサヒ、サッポロビールがあった。素晴らしい。キッコーマンの醤油、ブルドックソース、ミツカン酢、などを買い漁った。めっちゃ日本じゃん。だって、和食が食べたい!
レジで会計をしたのだけど、レジ係の人の頭、見てよ、すごくない? あの、すいません。素敵な頭髪なので、その、写真を撮ってもいいですか? 実はこの店員、無口でぶすっと態度が悪かったのだけど、そりゃ、そうだよね、マスクしてゴム手袋の日本人って怖いし。でも、笑顔でお願いしたら、照れながら、いいよって、撮影させてくれた。ラッキー。こんなすごい頭髪と出会うことなんて一生に一度か二度しかない、根本、どうなってんの? 盆栽? 笑。
と、その時、窓の外に警察の車両が止まった。中から出てきた警察官が通行人を呼び止め、不意にコントロールを始めた。やばい。ぼくは携帯を取り出し、グーグルマップで家からここまでの距離を測った。1キロちょっと、100メートルくらいはみ出している。どうしたの?とボンサイキングが訊いてきた。いや、スポーツの場合、1キロを超えちゃダメでしょ? 超えてる感じなんだよ。ほら、警察がコントロールはじめた。罰金、200ユーロはきついな、と言ったら、ボンサイキングが、買い物は大丈夫だよ、と言って、笑いだした。後ろのマダムも、ちょっとアバウトだけど、買い物に距離の制限はないのよ、出来るだけまとめて買うようにって感じかな、と教えてくれた。やっぱり、そうだったかぁ、メルシー。分かってはいても警察は怖い。スーパーを出て、警官たちの横を恐る恐る通過したが、呼び止められなかった。明らかに食材が詰まっているとわかるキャリーバックを引いていたからかもしれない。ぼくのかわりに自転車に乗っていた青年が呼び止められた。仕事です、と彼は説明していたが、結構、細かくチェックをされていた。ひやひやさせてすまない。でも、大丈夫だ。家に帰ろう。
家路の途中、可愛い水仙が咲いていた。春を告げる優しい花だ。ぼくは暫く、その花を見つめていた。優しい光りが降り注いでいた。こんなに厳しい世界だというのに、春は訪れる。新型コロナが出現して、モノの価値観が一変した。これからの世界はきっともっと大変なことが待っているはずだが、それでも春は必ず来る。花は咲く、桜も咲く、夏も来る、秋も来る、雪だって降るのだ。ぼくは振り返った。通りを渡る老夫婦がいた。新型コロナに罹らないで、と祈った。子供の手をひく若い夫婦が横断していた。この子の未来が明るいように、と願った。そこにいつもの変わらぬパリの風景が広がっていた。
家に帰ると、ぼくはまず、手洗い、うがいをする。醤油やソースやビールなどを石鹸水で洗い、水で綺麗に流してから冷蔵庫に仕舞う。バゲットは一度オーブンで焼き直してから食べる。63度以上で4分焼いたら、ウイルス飛沫も殺すことが出来る。ってなことを、ラジオで誰かが力説していた。え? 知らなかった? じゃあ、気になるなら、やっといたほうがいいよ。あれ、ところで君はいつまでいる気? 飲んでく?