PANORAMA STORIES
新米夫婦の外出禁止奮闘記 Posted on 2020/03/31 ルイヤール 聖子 ライター パリ
フランス全土に外出制限が出されてから二週間が経過した。
誰も経験したことのない状況下だし、フランスに住む全員が自宅待機を余儀なくされているのだから、皆が抱えるストレスの大きさは計り知れない。
3月17日に外出制限令が出されてからというもの、私は度々アジア人に向けられる「コロナヘイト」の的になってきた。外出許可証を持ってスーパーに買い物に行く道中、たった30分のジョギングの最中、「コロナウィルス」と吐き捨てられることが残念ながら幾度かあった。
この街に住んでもうすぐ2年。今までこんなことは一度も経験したことがなかった。けれど、彼らが日頃の鬱憤をいかに溜めてきたか、変に腑に落ちた。
「大丈夫、一部の人が八つ当たりしてるだけだから。大丈夫、大丈夫」
と自分の心に言い聞かせるものの、やはり言葉のナイフとは鋭いもので、小さな傷を負ってしまった。
仏人夫にその事実を報告し、スーパーに買い出しに行く時は一緒についてきてもらうことにした。人と人との間隔は1m以上開けなくてはならないので、同居家族にも関わらず、私たちは距離を保ちつつ行動した。
距離があるので誰も夫婦とは思わなかったのだろう。またしても「コロナウィルス」と聞こえてきた。彼らは通りすがりに「アジア人」とひとくくりにし、私をからかうように言い放った。それを聞いた夫は、見たことのない表情で激しく怒りだした。
早口でまくし立てるスラング混じりのフランス語はなかなかの迫力があり、「尊厳を傷つけられたら誰であろうと絶対に許さない」というフランス人の気質を垣間見た瞬間である。
彼はまるでハイエナを追い払うかのように吠えていた。
「今なんて言ったの?」と聞いても教えてくれない。夫はただ「覚えなくていい」と言った。確かに、これからのフランス生活において覚える必要がないと思いたい。
そして一言、「Je suis là(僕はここにいるよ)」と言った。
その一言が何ともありがたく、心強く、絶対的な安心感を与えてくれた。
そして、自らもこの国で「鉄の心」を持つことを改めて自覚した。
いつまで続くかわからないこの confinement(封じ込め)。狭い家で夫と二人きりなのだから、せっかくなら喧嘩ではなく絆を深めたい。
外出制限令が出たあと、パリでは一週目で既にパートナー間での暴力が36%も増加したようだ。
家庭内暴力は許されることではないが、家にずっと閉じこもっていれば険悪になる瞬間がいずれ訪れるかもしれない。そこで私は外出制限が解除になるまで、夫に毎日感謝の手紙を書き続けることにした。
書いた手紙は家のどこかに隠し、ラブレターが「かくれんぼ」しているかのように見せかける。隠し場所の難易度はだんだん上げていく。
クールな夫は手紙を発見した時、少し口角を上げつつ、まずフランス語の添削から入る。(私はまだフランス語が流暢ではない)
そんなに大喜びという訳ではないのかな?と思いつつ、書いては隠し続けた。
五日目くらいからは、今日の分は書いたの?もう隠した?と朝食時に聞いてくるように。
どうやら本当は楽しみにしてくれているようでホッとした。
彼は自分のデスクの上に、一日目、二日目…と手紙を重ねて大切にしまっているようだった。
「ラブレターのかくれんぼ」は、夫への感謝と愛情表現の印でもあるのだけど、こんな状況下でも、なお手紙を毎日書くことで「課題」を科している自分がいる。
不思議なことに、小さなことでも「デイリールーティン」に憑りつかれている方が気が紛れるのかもしれない。
憑りつかれている、と書くと大げさかもしれないけど、常に目標や目的を頭に置いている方が平常心を保てる。気づけば小学校に入学した時から課題、課題、と毎日向き合ってきた。
毎日手紙を書いて、それを夫が発見して、何でもない日常が過ぎる。この外出制限に対して「今日も一日よくがんばった、明日も小さな楽しみが待っているよ」と自分たちで労っているのかもしれないな、と思った。
「コロナウィルス」と罵倒されて出来た小さな心の傷口は、既に癒された。
どうやら離れて暮らす義母の耳にも入ったようで、「今日は何を書いてどこに隠したの?」と彼女から直接メールがくるようになった。そのダイレクトさがフランスらしくて微笑ましい。今では家族のグループチャットの一番のネタになってしまった。
そして幸いなことに、険悪なムードになったことはまだ一度もない。
一説では自分の家族が幸せを感じると、自分自身の幸せが15%もアップするらしい。
それならばたくさんの愛情を与えてくれるフランスの義理家族にも、喜んでシェアしたい。
長期化が予想される外出制限の最中、ちょうど私たち夫婦にとって初めての結婚記念日を迎える。
おめかししてレストランに行くことも、花屋さんでお花を買って送りあいっこすることもできないけれど、ある意味、絶対に忘れられない初回結婚記念日となった。
最終日は手紙を隠さず、ポスターにでもしてやろう。
自分たちに将来孫ができた日には、「あの時は変なウィルスがやってきてね、戦争でもないのにフランスは大変だったんだよ…」と、この「夫へのラブレター」とともに、伝承していきたい。
どんなに大変な今も、「過去」に変えていける力が、私たちにはあると信じてこの困難を乗り越えようと思う。
今自分に出来ることといえば、家でじっとしていることと一日も早い終息を祈ることだけなのだが、なんだか前よりも生きることに対してずっと前向きになっているような気がする。
Posted by ルイヤール 聖子
ルイヤール 聖子
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猫と香りとアルザスの白ワインが好き。