JINSEI STORIES
滞仏日記「息子がいれたタトーに泣かされた」 Posted on 2020/03/16 辻 仁成 作家 パリ
某月某日、5週間に及ぶ休校生活がはじまった辻家、外出できないわけじゃないけど、カフェも商店もやってないし、理由が理由だけに、なんとなく出歩き難い。外出できないと考えると、僅か一日しか経ってないのに、外に出たくてしょうがなくなる。しかも晴天なのだ。イタリアの人たちの苦労が本当によくわかった。フランスでも外出制限がはじまるのじゃないか、という噂は出ている。もしそうなったら、人々のストレスは計り知れないだろう、でも、しょうがないのか…。(感染者の数が一日で923人増え、感染者数が5400人を超えた)
夕方、ニコラとマノンから電話がかかって来た。マノンは、あたしストレスで、おかしくなりそうです、と訴えた。遊びに行きたいけど、出してもらえないの、と今度はニコラがぼくに訴えてくる。今は我慢しなさい、と優しく諭すことしかできなかった。それにしても、4月20日までの休校は長すぎる。これに外出制限が加わったら、…
それに引き換え、我が息子は呑気に音楽を作って遊んでいる。この子はネットと共に育ってきたので、家を出なくても苦痛じゃないようだ。10歳の頃、息子は「ぼくにとってネットこそが原っぱなんだ」と名言を吐いたことがあった。そういう世代の申し子なのである。
昼食を一緒に作って食べた後、パパに聞かせたいものがあると言って、自作のヒップホップの曲を聞かされた。逆立ちしてもぼくには作れない世界観だった。こういう世界で遊んでいるのならば、退屈しないかもしれない。いいんじゃないか、と言っておいた。夕方、掃除機をかけに息子の部屋を覗いたら、息子がベッドの上で筋トレをやっていた。
「何やってんの? 」
「運動だよ。身体がなまるから。いつでもバレーボールの試合に出れる身体を維持しておきたい」
あれ、腕になんか模様が…。
「なんだ、それ」
「あ、暇だから、タトーのデザイン描いた」
「お前な、親からもらった大事な身体、そんなくだらない模様とか描きやがって、一生を台無しにするなよ」
と怒ったら、
「暇だから、遊びだし、いちいち、怒んないでよ」
と怒られた。
「それにこれ、パパとぼくだよ」
「え?」
近づいて、彼の腕を覗いた。
「二人きりの暮らしが始まった頃にさ、一緒にストラスブールに行ったじゃん。今は家から出れないからさ、懐かしいので、パパのこと腕に描いてみたんだ。思い出が消えないように」
「……」
ぼくは慌てて、自分の部屋に戻り、タトーが消えてしまう前に、写真を撮影させてもらった。それにしても、へたくそな絵だ。こんなヘタなタトーいれたら、一生笑いもんだぞ、と言ってやった。あはは、と息子が笑った。
「大きい方がパパだよ。歩いたよね、あの街」
「ああ、よく覚えてる。お前が、10歳になったばかりの時だ」
「うん。安心してよ、タトーを彫るつもりはないからさ、今のところ」
二人きりになってから、今日まで、いろいろなことがあった。振り返ると、大変な人生だった。でも、このタイミングでコロナウイルスが全世界で大流行するだなんて、思いもしなかったし、そのせいで5週間も学校が休みになるだなんて。人生というのは本当に予測がつかない。それでも、どういう時もぼくら父子は結束して乗り切って来た。きっと、この新型コロナのパンデミックにも負けないと思う。がんばらなきゃ、と思った。夕食は、冷蔵庫に期限切れが迫った肉と豆腐があったので、マーボ豆腐を作ることにした。
ぼくらは昔みたいに、YouTubeを一緒に見ながら、夕食を食べることにした。どんな世界になろうと、親子であることは変わらないのだ、と思った。
息子が言った。
「日本とか、イタリアでも、同じように頑張ってる親子がいるんだから、パパ、がんばろう」
毎日を生きるということをこれほど大事に思ったのは久しぶりのことだった。そうだ、みんな、頑張ってるんだ。そう思うと、気力が湧いてきた。よし、生き抜いてやろう。