JINSEI STORIES
滞仏日記「コロナ過労から抜け出すためにぼくがやってること」 Posted on 2020/03/09 辻 仁成 作家 パリ
某月某日、ぼくは時々自分を追い込み過ぎるきらいがある。仕事の鬼なので締め切りに遅れるなんてことは許さないし、朝から晩まで何か創作(仕事)してないと気が済まないワーカホリックな性格で、その上に、家事と子育てに関してむきになっているものだから、ほんとうに厄介だ。やれやれ。
日本ではコロナ疎開ということばが流行りつつあるようだけど、パリで暮らしているぼくには親戚もおらず、ちょっと子供を預けるということができない。家事、子育て、仕事がセットなので、実は過去数年休みらしい休みを取ったことがない。なので一年に一度、線が切れるような感じで心のブレーカーが下がってしまう。先々週のノルマンディ逃避行などがいい例である。それでも日記とかツイートはその期間でさえも続けているのだから、自分に呆れかえる。仮にぼくのSNS発信が二日続けて無い時は何かがあったということかもしれない。
ノルマンディ逃避行も、一泊したらもうパリにかえり、息子に呆れられて、しかも即座に年中無休の生活に戻っていたのだから、心とどうやって折り合っていくのかがここのところのぼくの個人的課題でもある。思い返せば、不意に息子と二人きりで生活しなければならなくなった時、ぼくは「死にたいなぁ」とはじめて思った。死なないで済んだのはきっと息子を預けられる人が周囲にいなかったからだろう。子供を見捨てられないという意地が死にたいという気持ちを抑え込んだ。今は、こうやってSNSで思いを吐き出せるようになったので、ずいぶんと楽になった。そうだ、そういう意味でSNSはぼくにとって、気分を変えたり、楽になるためのツールと言えるかもしれない。しかし、やり過ぎると毒にもなるので一日の半分は携帯をなるべく見ないようにしている。今朝、起きたら携帯画面に、週間レポートというのが出ていて「あなたは前日よりも25%携帯から離れていました」と嬉しい知らせを届けてくれた。
しかし、ここのところの新型コロナウイルスの流行が、これまでにはない形でぼくの精神面を疲弊させている。コロナ過労とかコロナ鬱とかぼくは呼んでいるけれど、コロナの拡大が日仏の行き来の多いぼくに、様々な面で影響を及ぼし始めているのだ。しかし、この問題に関して個人が頑張って見つけ出せる出口はないかもしれない。だから、僅かでも光りのある道を見つけていくことこそ、心を落ち着かせる最善の方法なのである。フランスの政治学者が昨日、テレビで「ぼくらはコロナにかかる前に、コロナの情報に頭の中をおかされてしまっている」と言っていたが、まさに、そっちの方が心配じゃないか、と気が付けたことも、ぼくにとっては微かな光りであった。心配するな、と言われても無理だけど、心配し過ぎない、どこかで気を抜けるならば抜いたほうがいいのだ。逃避出来る楽な世界にこの際、逃げ込んでしまうのは悪いことじゃない。一日中、コロナのニュースばかり追いかけているとその前に、自分が倒れてしまう。ぼくもそのことに気が付いたので、ぼく個人が発信するメッセージの中にはできるだけ光りを交えていきたいと思うようになってきた。昨日の日記で書いた日本人の死者数が19人とそれほど多くないことは日本にとっては微かな光りだと思っている。感染者数はコントロールできると思うが、この死因だけは医療機関も関わることなので、捏造は難しい。逆にイタリアの死者が370人に迫りつつある今の現状は相当に厳しいものがイタリアを包囲しているという証拠にもなる。
最後に、鬱気味な時に自分に対して行っているいくつかのことを列記しておきたい。
1、あわてず、あせらずに、長い目で、自分を許していくこと。
2、心の過労は無理をしなければ必ず治るものだと友人の医者に言われたことを思い出すこと。
3、頑張れ、という言葉は禁句。がんばるもんか、くらいの手抜き感が大事だということ。
4、たくさんの睡眠が一番心の疲れをとることだと理解して、寝る時は絶対余計なことは考えないこと。
5、楽しい夢を見てやるぞ、と決めて笑顔で眠りにつくこと。
6、なんとかなるし、なんとかやってきたじゃん、と楽観的な気持ちを捨て去らないこと。
こういうことをぼくは毎日、寝る前に、心がけているのです。おやすみなさい。