JINSEI STORIES
滞仏日記「なぜ人は人を雑に扱うのか。扱われたらどうすべきか」 Posted on 2020/02/22 辻 仁成 作家 パリ
某月某日、思わぬタイミングで雑な扱いを受けた。内容は書かないことにするけれど、相手は忙しいという理由でとっても大事なぼくの訴えに耳を貸さなかったばかりか、その流れの中でぼくの人間性を軽く扱った。
「ちょっと、君、それやっといてくれる。時間あるでしょ?」
みたいな感じだ。
ぼくのような還暦の人間でもあり得るのだから、もっと若い人たちは結構あるに違いない。職場とか、学校とか、家庭内とか、どこにでも起きそうな問題である。ないがしろにされ、舐められ、ぞんざいに扱われたなら、やるべきことはただ一つ。自身のプライドの名のもとに、その人間を意識の中から消去することだ。
離れられるのであればすぐに離れた方がいいけれど、会社とか学校だとそうもいかない。そういう時は視界から消すのがいい。まともに向き合っていくとこっちが壊れるので、即座に「消えろ」バリアを発動して、消すのだ。この人は消しました、と思えば、ないがしろにされても、「消えてる人だから関係ない」で被害が最小限で済む。このくらいのバリアを常に張り巡らしておかないと今のような時代は生きて行くのが大変だ。自分が一番偉いと思っている人間があまりに多いということであろう。
なぜかしょっちゅう雑に扱われる場合は、自分にもちょっと問題があるのかもしれない、と思った方がいいかもしれない。愛想良すぎたり、すぐに自己否定してしまったり、みんなに好かれようとし過ぎたり、自分はダメだとか敵わないなどと思っていると、そういうところを突かれる。わかりやすい隙を作らないことである。そして、雑に扱う人間に負けないためには、その連中よりもさらに強いプライドを持つことだ。自分を守れるのは自分しかいないのだから、きれいごとは一度捨ててしまえ。雑に扱う人間に力で対抗できない立場にいるならば、そこを去る。去れないならば、とりあえず視界から消す。何か言われたら壊れたラジオくらいに思っておく。自分を尊重してくれる人間のところへいずれ移ってやるぞ、と思い続ける。移れるのであれ、すぐに行動に移そう。強くなるということはそういうことだと思う。ぼくも何年か前に、プライドを捨ててそこに頭を下げるか、プライドを貫くか、で悩んだことがあった。ぼくはその時、迷わずに、自分の人生のほとんどを捨てることにした。しがみついているだけが世界じゃないし、自分を評価してくれる人は絶対どこかにいる。だから、ぼくは媚びない自分を貫こう、と決めた。決めたら、簡単だった。なんでも決めちゃえばいいのだ。人間は自由なのだから…。
もちろん、多少の妥協というのか、大人の行動は必要なので、魂の根幹が否定されないのであれば、我慢も必要な場合がある。そこは最終的に自分で決めよう。自分で決められる人間になればいい。自分でどんどん決定できる人間になったら、きっと雑に扱う人間なんて出てこないはずだ。よし、ぼくもがんばらなくっちゃ。