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滞仏日記「なぜぼくは料理にこだわるのか」 Posted on 2020/02/19 辻 仁成 作家 パリ

某月某日、ぼくは食べることよりも料理をすることの方が好きだ。なぜ自分が料理をするのか、料理がどうしてこんなに好きなのか、についてあまり考えたことがなかった。ちなみに、今日はサラダ蕎麦と太巻きを作った。息子との味気ない二人暮らしの日々がもう何年も続いているが、起きて寝て起きて寝ての日々の中で必ず息子と顔を合わせるのが食事時なのである。心を貧しくさせないためにも食べることが豊かだと幸せになる。

滞仏日記「なぜぼくは料理にこだわるのか」



もしも、ぼくが料理をしない人間だと仮定しよう。そうなると親子の食事時間はなんとも殺伐なものになっていたことだろう。ぼくはもともと料理が好きだったけれど、シングルファザーになって以降はとくに食事に一番時間と情熱をつぎ込むことになった。必死で美味しいものを作り続けてきた。なぜかと言えば、幸せを目指したからである。不幸を呼び寄せたくなかったからでもある。美味しいものを並べることで息子の心は和む。寂しくさせたくなかったのだ。美味しければ、笑顔が生まれる。不味ければ無口になる。当たり前のことである。でも、最初から料理が上手だったわけじゃない。最初は誰だってへたくそなのだ。美味しいものを家族に食べさせたいという愛情を持ち続けることが上達のコツなのである。

毎日、意地でも美味しいものをテーブルに並べたかった。こうやって美味しいものを食べていれば、きっといつか幸せがやって来る、と息子に教えてやりたかった。本当に美味しいものとはお金がかかるものではない。ただ、愛情と手間暇だけは湯水のように使う必要がある。それを毎日、毎日続けることで、人間は絶対幸せになることができる、と信じて…。そして、そうやってぼくらは幸せになっていった。

不幸だと思うなら、美味しいものを作ってみたらいいのである。実は誰だってちょっと頑張ればいい料理人になる。自分の家で美味しいものが作れればお金の節約にもなる。自分にとって美味しいものを作ることで自分なりの幸せが訪れる。ぼくらの家庭、世界で一番小さな辻家は今、とっても幸せである。美味しいからこそ、会話が弾み、笑顔が溢れる。

滞仏日記「なぜぼくは料理にこだわるのか」



今日はどうしてか、太巻きを食べたいと思いついた。息子に言うと「僕も食べたい」と戻って来た。よっしゃ、太巻きだと思って買い物に行った。野菜も食べたかったので蕎麦を茹で、梅とゴマ油と麺つゆであえ、大量のサラダ菜とあえた。葉っぱがたくさん入った和風のサラダ蕎麦と具のたくさん入った太巻きが完成した。太巻きはわざと大き目にカットした。一口でそれを頬張る時の満足感が最大マックスになるように…。
「美味いね」
と息子が唸った。その美味しいがきっかけになって、話しも弾む。美味しいことは人生を明るくする。それが自分で作ったものであればなおさらじゃないか。そうだ、ぼくは幸せになりたいから、料理をするのである。悲しいことを蹴散らすために、不幸を近づけないために、料理をするのだ。我々はもっと料理を愛すべきである。「ああ、美味い、幸せだ!」これに勝る幸せはない。

滞仏日記「なぜぼくは料理にこだわるのか」

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