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滞仏日記、2「人生の岐路に立つ息子と肉まん談義」 Posted on 2020/02/13 辻 仁成 作家 パリ

某月某日、ぼくと息子は手作り肉まんにからし酢醤油をつけながら頬張った。「うまい」と息子が言った。「だろ」とぼく。「手作りに敵わないんだよ。手作りは最高なんだ。最高のものを手に入れたければ人と違うことをやれ」息子が頷いている。「で、相談って何?」

「この休みあけで、進路を決めないとならないんだよ。簡単に言うと、コースを選ばないとならないの。でも、それを選んだら将来が限定され、動かせなくなる。道が決まってしまうんだ。で、ぼくが悩んでいるのは数学を残すか、捨てるか」
「パパだったら捨てるけど、なぜかというと数字アレルギーだから」
「知ってる。パパはレジで、指折って勘定してるもんね」
「うるさい。でも、君は数学成績悪くないじゃないか。将来のことを考えると数学とってないとつぶしがきかなくなるんじゃないの?」
「そう言う人が多い。でも、来年から数学が半端なくハイレベルになる」
「今以上にか? パパは無理」
「エンジニアを目指すならやってもいいけどってレベルになる。うちの学校は数学が強いから、ついていくので精いっぱいになる。数学ばかりやらなきゃ追いつかなくなる。そしたら勉強したいものが出来なくなる」

滞仏日記、2「人生の岐路に立つ息子と肉まん談義」



「っていうか、まず、何になりたいわけ? どういう仕事につきたいの?」
「パパ、それが分かってたら相談しないって。それがまだ決まってないのに、今選択コースを決めないとならないから悩んでる」
「好きなことだけ勉強しとけば? 好きなことなら続けられる」
「うん、そう思って二つのコースが残った。一つは生物学、政治学、経済学のコース。もう一つは政治学、数学、哲学のコースなんだ」
「哲学が入ってる方でいいんじゃないの? 君、哲学好きじゃん。そのコースには数学が入ってるからとりあえず繋げられる。どっちも政治が入ってるんだね。他のコースは?」
うん、と息子が言って、肉まんを頬張った。からしが辛かったのか咳込んだ。
「法律とか政治を勉強したい」
「弁護士になるつもり? まさか、政治家に?」
「まさか。でも、環境問題とかを扱う仕事に興味がある」
ぼくは急いで肉まんを飲み込んでから、息子と向き合った。

「お金持ちになりたいか? お金なくてもいいか? どっちだ?」
「ないよりはあった方がいい」
「フランスも日本もこれからは経済が厳しくなる。政治や法律だけだと就職先が限定されるぞ。お前は日本人だから、将来、フランス国籍を取得したとしても、普通のフランス人よりも就職のハードルは高い。フランスは階級社会だからな。相当な覚悟で勉強しないとならない。お前の友だちたちは立派な家の人が多いから、企業とかにコネがある。でも、お前はパパしか血が繋がった人間がいない上に、残念ながらパパはこんなじゃん。ということは実力で勝ち上がっていかないとならない。パパにもしものことがあったら、この国でお前をサポートする人間がいなくなる。日本に戻るにしても君の生まれ故郷はフランスで、君の第一言語はフランス語だから、フランス語圏でまずは就職する方が圧倒的に有利だ。もしくは大学からイギリスなど英語圏に渡って英語を習得するか、どちらにしても言語の影響が大きいし、その上で専門職を手に付ける必要がある。エンジニアでも、医者でも、経済の専門家でもだ。道が決まってないなら、まず、つぶしがきくものを選んで、人生に猶予の期間を設け、いち早く将来の目標を決めこんで、そこにシフトしていくしかない。数学をいれておけば、どっちにも転がることが出来る。パパのアドバイスはその二点だ」
「二点?」
「数学は選んでおけということ」
「もう一つは?」
「手作りの肉まんに勝る肉まんはこの世界にはないということだ」
息子が笑った。わかったよ、ありがとう、と言った。そして、残った最後の肉まんに手を伸ばした。その味を覚えておけ。

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