JINSEI STORIES
パリ最新情報「パリの中華レストランが閑古鳥。中国人が消えた」 Posted on 2020/02/12 辻 仁成 作家 パリ
息子とランチを食べに行きつけの中華レストランに顔を出した。このレストラン、この界隈では大人気、特に昼ともなると百席近くもあるというのに満席で入れないことさえある。ところが驚いたことにお客さんがいない。ぼくがパリを発った僅か10日ほど前はいっぱいだったというのに。店主のメイライに訊いたところ、
「コロナウイルスの風評被害で中華系レストランは全滅なのよ。私たちはフランス人だし、中国の観光客を受けれることもないのに、顔の色で決まっちゃう。恐ろしい、いつまで続くのかと思うと。一昨日は常連のジョゼフさんの90歳を祝うパーティがコロナのせいで突然キャンセルになったの」
いつもはビズ(フランスの頬と頬とくっつける挨拶)をしあう仲だけど、それもなし。仕方なく握手をした。メイライが気にして、自分たちからはビズをしないようにしているというのである。
「こういう時節だから、ビズもやめたの」
と悲しそうに言った。ぼくと息子は広々としたホールのど真ん中で食事をしたけれど、ぽつん、ぽつんと常連が、確かに、おっかなびっくり様子を見ながら入ってくる。フランス人の客らは、ぼくと息子を中国からの観光客だと思ったのか避けて、奥の部屋へと行く。
「中華街はどうなんですか?」
と訊いてみた。パリには横浜中華街のような大きなチャイナタウンが二つもあるが、そこもガラガラだとか。
「いつもの半分以下の人出という感じ。三分の一程度の人の入り」
「たいへんだ」
「昨日のランチは結局、一組、4人だけ。日曜日は7人よ。やっていけないわ」
官庁街なので、ウイークデイは二回りはする大人気店で、従業員もみんなパリで生まれ育った二世の子たちなのに…。分かっていても、やはり、常連たちも怖いのであろう。
息子の学校のパパ友たちとの会合も当初予定になっていた中華レストランから日本食レストランへと変更になった。もっともその日本食レストランのオーナーも従業員たちも全員中国人なのだ。そのことに気が付いているフランス人はいない。メイライの弟のシンウエンがやっている日本食レストランは逆に大盛況のようで、「こっちが暇だから今夜はあっちに応援に行く」とメイライが別れ際に言った。こういうのを風評被害というのだな、と思ったけど、消費者の心理というものも理解できる。たとえばぼくがロンドンに遊びに行ったら、中華街は避けるだろう。新型肺炎が謎に満ちているだけに、誰もが「君子危うきに近寄らず」状態なのである。
それにしても中国人観光客の姿が見事に消えている。メイライに訊いてみた。
「もう、いない。彼らも国を出れないし、こういう状況じゃ、たとえ出れても楽しくないでしょ。コロナが終息するまでは本土からの観光客は当てにできない。うちは構わないけど、フランスの観光業にとっては痛手だと思う。日本もそうでしょうね。でも、しょうがない。再び安全な日が来れば、戻ってくるでしょう」
ぼくはメイライの手を握りしめ、
「ぼくと息子は何度も来るから安心してね。はい、これ、東京のお土産だよ」
ぼくはおせんべいの詰め合わせと日本の洋菓子セットをメイライに手渡した。その時だけ、いつもの優しい笑顔が戻っていた。ぼくが日本に仕事で長期間パリを離れる時、残った息子が唯一たった一人でも安心して食事に来ることが出来る店、それがここであった。フランス人の常連客たちが一日も早く戻ってくればいいのだけど…。