JINSEI STORIES

滞仏日記「久しぶりに息子と会って、めっちゃ安心の一日」 Posted on 2020/02/11 辻 仁成 作家 パリ

某月某日、パリに戻った。短い日本滞在だったけど、コロナウイルスのことがあり、しかも帰仏直前に首の裏側にコリコリっとしたしこりが見つかり病院に行き抗生物質を出してもらい(消えない場合はパリで手術)となり、しかも飛行機が悪天候のため16時間遅延したので、もうパリに着いた時は人間としてぎりぎりの状態だった。息子に「ヘルプ」とメッセージを送っておいたら、玄関前に屈強な息子が待ち構えていて、30キロもあるトランクを部屋まで一気にひっぱりあげてくれた。いや、実に頼もしかった。

自分のベッドに倒れ込むように潜り込んで夕方まで寝落ちしてしまった。夕方、目が覚め、何か簡単な料理を模索していると息子がやって来て、キッチンの丸椅子に腰かけ動かなくなった。何か、と問うと、何食べるの、と返ってきた。「美味いものさ」ぼくはご飯を炊き、冷蔵庫を漁って、残っているもので簡単な煮物を作ることにした。冷凍庫に鶏肉、野菜室に人参、大根、蓮根があった。それから乾燥の割り干し大根と椎茸も出てきた。大根はちょっと古そうだったけどなんとか食えそうだ。レストランに出かける方が疲れる性格なので、ササっと筑前煮と割り干し大根の煮物を作った。お、とんかつが3枚、冷凍庫の隅っこから出土したので、これも揚げることにした。

滞仏日記「久しぶりに息子と会って、めっちゃ安心の一日」



ぼくが料理している間、息子はずっとそこから動かなかった。あれ、珍しい。普段は近づかないのに。どうした、と訊いた。別に、と息子が言った。「パパは、昔から料理やるの?」と訊いてきた。「ああ、料理が出来ると人生が二倍楽しくなるからね。お前も勉強した方がいい。あれ? ウイリアムとトマと三人でやるレストランって、今日じゃなかったっけ?」「あ、あれね、木曜日になった。パパが大変だから、今日はやめて木曜日にした」「ありがとう。今日だったら死んでたな」「だよね。ごめん」「レストラン、メニュー決まったの?」「決まったよ、食べ放題にする」ぼくらは二人で食事をした。アヴィーチーという自殺したアメリカの歌手のことを話し合った。何で死ぬんだろ、とぼくが言うと、息子は、死ぬことは問題じゃない、生きることだよ、と言った。

夕食後、仕事場で小説を書いていると、息子が再びやって来て後ろのソファに座り込んだ。あれ、仕事場に顔出すなんて珍しい、と思った。どうした、と訊くと、別に、と言った。「パパ、なんか飲む? コーヒーでも淹れようか?」そこで、気が付いた。もしかしたら、こいつ寂しかったのかな、と思った。独りぼっちだったので、寂しかったのだ。思わず相好が崩れた。そういう時もある。だから、ぼくは仕事をやめて息子と向かい合うことにした。青年はソファにふんぞり返って、携帯を覗き込んでいる。ぼくはギターを引っ張り出し、フレーズを弾いた。「来月のライブ用に、フランス語の曲を作りたいんだ。こういうメロディ。なんかフランス語で書いてよ」なんとなく話題をふってみた。すると珍しく、のってきた。起き上がり、メロディを追いかけている。普段なら、やだよ、と言い残して部屋に戻るところだが、よっぽど寂しかったな…。なんだかんだ、新曲が完成してしまった。音楽というのはこういう時に便利だ。余計な会話が必要ない。思わず、楽しい夜になった。こんなオヤジでも、存在理由がそこにあったので、ぼくとしても嬉しかった。ところで、息子が作った歌詞とはこんな感じである。

Dans la vie
人生の中で、
Y’a toujours des moments tristes 
誰にだって悲しい時間ってのがあるよね。
Pas toujours qu’on réussi 
そもそも、いつもうまくいくってわけじゃないしさ。
C’est la vie c’est pas la vie et alors c’est ta vie  
だって、それが人生だし、てか、人生はそんなもんじゃないし、でも、それはお前の人生なんじゃんね。