JINSEI STORIES
滞仏日記「恋に揺れる息子の冷静と情熱のあいだ」 Posted on 2020/02/08 辻 仁成 作家 パリ
某月某日、リサからメッセージが届いた。
“Ça va au Japon Hitonari?
Vous allez pouvoir rentrer en France sans rester en quarantaine pendant 15 jours à l’aéroport? 😅“
「仁成、日本は大丈夫? 空港で2週間の検疫で足止めされたりしないかしら?」
こういうメッセージが頻繁にあちこちから届く。日本人的にはそこまでなぜ日本が注目を浴びているのか気が付いていないけど、世界の人々の関心は武漢だけではなく、日本にも十分に注がれている。
“C’est possible… si ça arrive, veillez sur mon fils svp😂”
「ありえるねぇ。もし、そうなったら、息子は任せたよ。頼むね」
と送ったら、任せて、と返事が戻って来た。やれやれ。
ぼくは帰仏の準備をしながらひと時、リサとワッツアップの無料電話で話し込むことになる。シャルル・ド・ゴール空港の状況やパリ市内の中国人観光客並びにアジア人への接し方、或いは差別などについて。リサはベトナム系のフランス人なので、この問題にはセンシブルになっている。
そのやり取りのあと、息子の話題にうつった。親代わりのフランス人のうちの一人だから、彼女は自分の子供のようにぼくの息子の面倒をみてくれている。今、気になることは息子の新しい恋の動きだという。
「何があったの?」
「エルザとは恋人関係はやめて親友になったのは仁成、知ってるでしょ?」
「ああ、間接的に聞いてる。廊下ですれ違った時とかに、ぼそぼそっと言うから」
「本当に間接的な情報提供ね。(笑)でも、彼が小出しにするのは、彼がやっと恋と愛の違いについて気が付いてきたからなの」
「どういうこと?」
「ヤングラブから大人の愛への移行期間なんじゃないか、と思う。あの子、一昨日うちに遊びに来た時、ちょうどアレクサンドルがいなくて、二人で話し込む機会があった。そしたら、打ち明けるように、恋と愛の違いが何かと訊いてきた」
リサは我が息子にとって母親のような役割を担う存在でもある。リサはさばさばしていて、強い意思と決断力のある人だ。小学生のある頃から母親が不在の息子にとってリサの助言はぼくの助言よりも大きな意義を彼に与えている。リサはかなり強いママなので、言行き過ぎた助言をしないか心配になることもあるが、でも、はっきりとダメなものはダメと言える人を子供は信じるものだ。16歳になった息子は友人の延長のような恋ではなく、自分の人生を大きく揺るがすような愛へと関心が移ったのだそうだ。エルザと息子は遠距離のせいもあり、まだ子供でもあるから、くっついたり離れたりを繰り返してきた。エルザは会えない寂しさから「別れたい」を何度も口にした。その都度、息子は翻弄され、リサに相談をしていたのだという。でも、別れたりくっついたりを繰り返す中で、息子はもっと深い愛を探すようになった。リサ曰く、彼はきっとあの若さで愛を求めているのだと思う、と。エルザは可愛い子でいわゆる今時の女の子だけど、息子が求めているものは「好き嫌い」の恋ではなく、もっと大きな「愛」らしい。それが何かをリサは息子に語っているのだけど、うまく教えることが出来ないでいる。
でも、命題が難しければ難しいほどに、それは彼の成長を物語っていることじゃないか、とリサは言った。
「あの子がファーストラブで知ったことは女の子の存在の素晴らしさだったと思う。でも、セカンドラブを探す中で彼が大事にしているのは相手が自分に与える“何か”なの。与えてきた“何か”ではなく、その人といることで自分を成長させる“何か”なのよ」
ちょっとフランス語が難しかったので、ぼくはそういう風に解釈をした。
「リスペクトしあえる人との出会いがきっとあの子を大人にさせていくのだと思う。もちろん、愛が何かを見つけるのは容易なことじゃないけれど、あの子はすでにあの年で恋ではなく愛を見つけようと奔走し、自分の中の欠けている“何か”をそれで埋めてみたいと思っている。あの子はハンサムなアジア人だから仁成、あなたが思っている以上に人気があるのよ。歌もうまいし」
「知ってるよ。歌がうまいのは」
ぼくらは笑い合った。男親には話せないことを聞いてくれる親のような存在のリサが近くにいることは有難い。
「情報提供に感謝します」
「いえいえ、私はあの子のスパイじゃないの。あの子があの子なりの幸せを掴むために力を貸したいだけだから、安心をしてね。これはステップなのよ、恋が愛になるための」
電話を切った後、ぼくは息子に、もうすぐ帰るよ、とメッセージを送った。