PANORAMA STORIES
ウイルスの脅威が示す「世界は一つ」 Posted on 2020/02/07 清水 玲奈 ジャーナリスト・翻訳家 ロンドン
ブレグジットがついに現実となった翌日、2月1日。土曜日なので娘をバレエ教室に連れていくと、イタリア人の先生が「なんだか元気がないけど大丈夫?」と聞いてきた。「ブレグジットのせいでちょっと鬱になっている」と答えると、「そんなことよりコロナウイルスが心配」。香港に住むイタリア人の友だちが、急遽故郷に引き揚げたところだという。
娘の同級生に、お母さんが中国人のアヴァという女の子がいる。お母さんのキャシーは、昨年末「家族3人で中国に行って、娘のアヴァはパパと一足先にロンドンに戻り、私は少し後に戻ってくる」とうれしそうだった。年明けから、いつもはお母さんと学校に来るアヴァの送り迎えはインド系の父方のおばあちゃんが担当していた。
1月24日、イギリス政府は新型コロナウイルス対策のHPを特設し、「過去14日間以内に中国から帰国した人のうち、軽くても咳や熱、息苦しさなどの症状がある人」に対し、「外出や人との接触を避けるように」「学校への子どもの送迎は、できるだけ友人か家族に頼むように」と勧告した。
1月29日、英国航空BAは中国との直行便を運航休止にし、その日から、お父さんがアヴァを迎えに来るようになった。初対面のお父さんに事情を聞くのもはばかられ、ウイルスの話題には触れずにキャシーにメッセージを送ると、思いがけずすぐに返事がきた。「ははは、あなたも早起きね!」。続いて「2週間前からロンドンに戻ってきているけれど、以前辞めた会社の仕事を自宅で再開したので、学校には行かないでいる」との説明。しばらくすると長文のメッセージで、「中国政府の対応はどうかしている。野生動物を食べたのがウイルス出現の原因で、それはS A R Sの時と同じなのだから、あの教訓を生かして禁止しておくべきだった。今回の感染発生でも初動が遅れた。それなのにW H Oの事務局長が中国政府を称賛したのには頭にきた。日本が中国を支援してくれているのはありがたい。それについても中国国内には、政治的な下心があるだけみたいな声があって、それも頭にきた」と、いつものように元気が良くて、とりあえずほっとした。
でも、事態はおさまらなかった。イギリスで感染者が2人確認され、2月4日、政府は中国にいるイギリス国民3万人に対して退避勧告を出した。BBCは、在英中国人がコロナウイルスのために侮辱を受ける例が報告されていると報道した。そして、先週まで毎日元気に登校していたアヴァは2日続けて学校を休んだ。翌日は授業参観日で、やはり休み。先生に聞くと「元気だけれど2週間休む。今はおばあちゃんの家にいるらしい。あとはコメントできない」と言う。私が家に帰ってすぐにキャシーにメッセージを送ると、「心配しないで」と、今度は言葉少なだ。今になって風邪でも引いてしまい、念のため娘を自分からも学校からも「隔離」することに決めたのだろうか?
そもそもキャシーと親しくなったのは、娘が小学校に入学して2日目の夕方、私の顔を見て先生がキャシーだと確信し、アヴァを連れてきたのがきっかけだった。先生にはそっくりに見えたらしい。中国人差別が本当に起きているなら、私もターゲットになるのは必至だろう。日本では中国人や韓国人への差別が根強いが、それがいかにばかげているかが、こちらにいると実感できる。
かつて、梅毒をイギリスでは「フランス病」と呼び、フランスでは「イタリア病」と呼んだ。私たちは不幸があると「外国人」のせいにしたがる。そんなことを考えていたら、『人種差別主義者と議論する方法(How to Argue with a Racist)』という本の著者で遺伝学者のアダム・ルザーフォードが、「ガーディアン」紙のインタビューを受けていた。
現代に生きる一人の人の祖先は、25年で1世代と考えて計算すると、25年前には2人、50年前には4人、そして1000年前には1,099,511,627,776人に達する。家系図は重なり合っているから、実際の祖先はこれよりずっと少ないのだが、この時点で、ヨーロッパで子孫を残した人の全員が、現在ヨーロッパで生きている人全員の祖先にあたる。実際に、ナチス党員全員にユダヤ系の祖先がいた。
同様に3400年前まで遡れば当時の地球上に生きていた全ての人が、現在の世界に暮らす人全員の祖先にあたる。どこの国の人でどの色の肌の人であっても、アフリカ人、中国人、インド人、ヨーロッパ人、オーストラリアの原住民などなど、ありとあらゆる人種民族の子孫であり、「生粋の」ドイツ人とかイギリス人という概念は幻想なのだ。
常に大量の人が移動する現代、ウイルスもあっというまに国境を越える。中国人を差別するのは悪あがきにすぎない。ブレグジットが実現したこのタイミングで、皮肉にもウイルスという目に見えない敵によって、「世界は一つ」であることを、私たちは思い知らされたのだ。その現実を謙虚に受け止めて、病気とも差別とも闘わなくてはならない。
Posted by 清水 玲奈
清水 玲奈
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ジャーナリスト・翻訳家。東京大学大学院総合文化研究科修了(表象文化論)。著書に『世界の美しい本屋さん』など。ウェブサイトDOTPLACEで「英国書店探訪」を連載中。ブログ「清水玲奈の英語絵本深読み術」。