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滞仏日記「ぼくはぼくのソウルミュージックで」 Posted on 2020/01/27 辻 仁成 作家 パリ

某月某日、今日は、ドラゴンアッシュのATSUSHIがぼくのライブに飛び入りした。中盤の曲に一曲だけ出演するという約束だったが、結局、5,6曲踊って帰って行った。結論から言うと、とっても楽しかった。ぼくは成功したいとか、理解してもらいたいとか、受けたいとかそういう気持ちがまるでない。ただ音楽が好きで、歌い続けているおじさんに過ぎない。音楽で世界を変えようとか、地球を救おうとかそういうものもない。舞台に上がり、暗がりの中にいるだろう観客に向かって、自分の思いをひたすら届けるだけなのだ。手拍子がおころうが、おこらなくてもあんまり関係ない。そこにただ一人でも真剣に聞いてくれる誰かがいたら十分。その人の心目掛けて歌っている。ただ、今日は横でかおりさんがクラリネットをふいてくれたし、横でATSUSHIが踊っていた。パリまで来て、ぼくのところにやって来て、踊っていいすか、と言うのは変わり者だ。踊ってよ、となるよね。年齢を聞いたら40歳なのだった。ECHOESとか聞いてないだろ? 世代が違うのに、こういう人がいきなりやって来るのも面白い。でも、なんでか、お客さんたちはみんな喜んでくれた。喜び。

実はそこそこ名のある劇場なのだけど、ぼくにはマネージャーもいないし、ローディもいないから、楽器の搬入搬出も自分一人でやる。ライブが終わった後、客だしの最中にステージに戻り自ら楽器を片付けないとならない。するとお客さんらが集まってくる。カッコいいことじゃない。誰も手伝ってはくれないので、自分で楽器をかたずけながら、お客さんたちと記念撮影もやる。パリで音楽活動をするのは、長いキャリアのある東京でやるのとはえらく違ってる。でも、苦じゃないし、恥じてもいない。「辻さん、自分で楽器片付けるんですか?」とお客さんたちに言われる。いやあ、野球選手だって自分のバットは自分でかたずけますよ、と笑ってごまかす。一応、エージェントの人とかいるけれど、誰も手伝ってくれない。自分のことは自分でやる。60歳になってもそれが基本だ。すると一人の男がやって来て、めっちゃ褒めてくれた。「君みたいなパンクを探していた」と言った。「探す?」「毎月、うちでやらないか」と言われた。「誰ですか?」と訊いたら、劇場のオーナーだ、と名乗って名刺をくれた。ファブリス・ル―という名前だった。「本当に?」「ああ、本当だよ。ぜひ、やってほしい。ここをホームグラウンドにしてほしい」と言われた。60歳のぼくに。笑。やったー、と騒げる年齢でもない。25歳だったら、飛び上がって嬉しかったかもしれない。でも、60歳なのだ。ぼくは俯き、35年早く言ってほしかった、と思った。でも、ぼくらは握手をした。ファブリスが一緒に記念撮影いいかな、と言った。いいよ、どうぞどうぞ、となった。パチリ。

滞仏日記「ぼくはぼくのソウルミュージックで」



ほとんどの人たちが今日、はじめて会う人たちで、フランス人も大勢いた。クラリネットのかおりさんとダンサーのATSUSHIと三人が一体になれた瞬間、ぼくはまた感謝していた。感謝しかないよ、人生は。「東京」という曲を歌う時だけ、ぼくは宇宙を見上げながら歌った。ECHOESの曲だった。もちろん、今川勉のことを思い出しながら歌ったのだ。音楽が天とここ地上を繋いでくれた。あと何年、自分も歌えるかわからないけれど、自分のソウルを届けたい。ぼくはソウルマンを目指したい。自分にしか歌えないソウルミュージックを…。帰りのタクシーの運転手さんが、あんたミュージシャンかい、どんな音楽やってるの、と聞いてきた。ぼくは堂々と、ソウルミュージックです、と答えた。

自分流×帝京大学