PANORAMA STORIES
フランス語の輪郭「せらび」 Posted on 2020/01/21 辻 仁成 作家 パリ
ぼくはそもそもフランス語を語学学校で学んでいない。ギターや小説と同じように独学であり、いわばストリートがずっと先生であった。最近は息子がぼくの仏語の指導教授になっている。大変に厳しい先生で、怒られるたびに、ぼくは腹を立ててしまう。息子曰く、文法くらいはしっかり大学で勉強をしておくべきだったね、ということであった。はいはいはい…。
さて、今日はフランス人が本当によくつかう言葉であり、日本人にも馴染みのある「せらび」という常套句について勉強をしてみよう。
C’est la vie. と書いて、「せらび」と読む。
それが人生さ、という意味である。
フランス人はこの言い回しを本当によく使う。
子供が欲しいものを買ってもらえなくて駄々をこねる。親は「せらび」と宥める。その時、子供は自分の思い通りにならない「人生」というものをこの言葉で悟る。
今回、1ヶ月以上続いたパリの交通スト中も、あちこちでこの「せらび」が響き渡った。メトロもバスもないパリの街を、みんな「せらび」と言いながらもくもくと歩いていたのだ。自分をなだめる言葉でもある。日本語の「しょうがない」に似ているかもしれないが、ちょっと違う。しょうがないはあきらめざるを得ないだけだけど、せらび、(それが人生だ)にはわずかにポジティブなニュアンスが混じっている、気がする。完全に諦めなくてもいいんだよ、と言われているようなニュアンスがある。前に向かおうぜ、という救いがあるのだ。
人生はそんなに甘くないものなのさ。乗り越えていこうよ。そんな時に、「せらび」と言う。自分にも言うし、他人にもつかう。何かを諦める時に唱える呪文のようなもの。「それが人生というものなんだよ、しょうがないじゃん、ぐずぐずしてもらちが明かないからさ、先に行こうぜ」みたいな感じを含んでいる。
人間は、ときに諦めることも大切なのだけど、それを自分や他人のせいにしないで、人生というもののせいにしてしまうところがフランスっぽい。それが人生なんだ。
渡仏直後に出会ったPさんが亡くなった時、彼の仲間たち、全員がお悔やみの言葉の最後を「せらび」で結んだ。誰のせいでもない、それが人生なんだ、ということで、誰もが小さく頷くことが出来た。今の自分にこそ、言いたい言葉でもある。それが人生だけど、でも、その人生は続く。La vie continu. (それでも人生は続くんだよ)
僕はこのフランス人の考え方が好きだ。
Posted by 辻 仁成
辻 仁成
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作家。パリ在住。1989年に「ピアニシモ」ですばる文学賞を受賞、1997年には「海峡の光」で芥川賞を受賞。1999年に「白仏」でフランスの代表的な文学賞「フェミナ賞・外国小説賞」を日本人として唯一受賞。ミュージシャン、映画監督、演出家など文学以外の分野にも幅広く活動。Design Stories主宰。