PANORAMA STORIES
私は今ここにいる Posted on 2016/11/20 美波 女優 パリ
私は今ここにいる。
あなたの人生の目的は? 自由になること。
自分に自信がなく、人一倍弱い人間だ。 いつか自分を好きになり、自分の居場所を見つけたい。
そういった想いを小さい頃から持ち続けていた。
生まれも育ちも日本。 ハーフであるコンプレックスは大きかった。
映画を見るのが好きで、自分じゃない人間に化ける役者の世界に憧れを抱いた。
児童劇団に所属し、しばらくしてプロダクションから声が掛かり、役者としてスタートを切ることができた。
日本にあるフランス人学校に通っていたため、日本語が上手くなかった私は中学から日本の学校に転校した。
”日本人”になるため、女子高生達を観察してモノマネした。
18歳の冬、初めてパリを訪れた。
僅か2週間半の滞在はその後の人生を大きく左右させられる時間となった。
私の中にある血、フランス人というもう一つの人格が、騒ぎ出したのだった!
人間は個々リズムを刻みながら生きている。国や社会も似たようなリズムを持っている。
私はパリという土地を踏んだ時、何が今まで生きずらくしていたのか、 何を窮屈に感じていたのか、全てが明らかになった。
”このリズム、私だ” パンドラの匣を開けてしまった帰国後の日本は、私にとって何か別なものになってしまった。
日本人なのに日本人じゃない自分。
どこの人でもない気がして苦しかった。
野田秀樹さんの舞台に立った時、初めて自分の居場所を見つけた。
今まで、何をしても、”はみ出さないように”と注意されていた。
それは集団の輪だったり、カメラの枠だったり。
野田さんはオーディションの時、”バージュ(私の名字)もっとできるでしょう。抑えないでやってみて” と言われた瞬間の安堵感はいまだに覚えている。
私は舞台に立ち続けたいと思った。
それからの10年間、フランスへの強い想いと舞台に対する強い気持ちが入り混じり混沌としていた。
そんな日々を過ごしながら、エゴだけが膨れていき、自尊心が腐っていくように思えた。
”今行かなければ全てが幻になってしまう”
私はこれ以上自分自身に嘘をつきたくない。
幻が消える前に飛び込むしかなかった。
フランスに来て、2年。 今振り返ってもあの日の決断は正しかったと思う。
結局、パリに来たからってフランス人にはなれない。 当たり前だけど。
日本にいる時は外国人、フランスにいる時は日本人。
結局これが私だったんだ。これが私。
フランスでの生活は容易くない。
エージェントに所属することはできてもアジア人の役は中々ない。
フランス人の役は、即興芝居や生活感のある芝居ができないため、オーディションは落ちる。
日本には年に1、2回仕事のため帰国していたが、 先日”知名度がもうない”という理由で跳ね除けられた。
これが現実なのだ。
全部投げ出して一人でフランスで生きるとはこういうことなのだ。投げやりになるときは多々ある。
泣き虫はいまだに治らない。この仕事に向いてないと思う。もう無理かもしれない。誰も必要としていないのだ。
でも、 私は幸せ。
自分との約束を果たしてるのだから。 以前消えかけていた自愛が小さな一輪の花のように芽生え始めている。
全てを捨ててまで欲しかったものは、これだった。 ただ、自分を好きになりたかった。
どうしても諦められない夢。
私はフランスで俳優になる。
そして日仏の血を持つ私は日本とフランスの間に橋を作る。
一つの決断で人生は大きく味方をする。 自分に素直になること、やり通す勇気を持つこと。
自身との約束を果たすことは、自由につながる一つの道だと思っている。
決断するタイミングは誰にでも来る。それを絶対に逃したくない。
掴んだ以上、今辛くとも戦い続ける。
諦めることもできるけど、せっかく見つけた生きる喜びが消えてしまう。
だからもう少しだけ、戦おう。
Posted by 美波
美波
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女優。1986年9月22日生まれ、東京出身。2000 年に『バトル・ロワイアル』(深作欣二監督)で映画デビュー。その後、舞台・映画・ドラマと幅広く活躍している。’14年には文化庁の新進芸術家海外研修制度のメンバーに選ばれ、パリに1年間演劇留学。現在はパリに拠点をおき、多方面で活動している。
2017年11月9日(木)~28日(火)/Bunkamuraシアターコクーン・地方にて、演出・串田和美の『24番地の桜の園』に出演。