JINSEI STORIES
滞仏日記「月曜日のランチに、モンパルナスで」 Posted on 2020/01/07 辻 仁成 作家 パリ
知り合いの編集者が「Le Cette」に行こうというので店の前で正午に待ち合わせた。でも、まだ空いてなくて、眼鏡をかけた紳士がドアから顔を出し、15分後に開店だからもう少しお待ちください、と言った。編集者のMがすぐそこにパリの歴史そのものの古いホテルがあるから覗きに行こう、と言うので、暇つぶしに散策した。ホテル・イストリアがそこにあった。なんの変哲もないホテルだったが壁にプレートがかかっていて、かつての常連たちの名前が彫られてあった。芸術家のデュシャンやピカビア、ポーランドの画家キスリング、そしてアメリカの写真家のマン・レイ、オーストリア作家リルケ、ロシア詩人マヤコフスキー、そして音楽家のエリック・サティ、モデルのキキ、詩人のアラゴンなど、驚くばかりの偉人たちが名を連ねていた。思わず相好が崩れてしまった。
パリの14区モンパルナスの一角ヴァヴァン、ここはパリが芸術的興奮に沸いた1920年代、その中心的な文化ゾーンでもあった。ヴァヴァンには世界各地から作家や詩人や芸術家らが集まり、毎晩のようにカフェやレストランで議論を繰り返していた。彼らが宿泊したのがここ、ホテル・イストリアである。モンパルナス、ヴァヴァン地区は「文化世界の首都」と言われていたこともあった。それくらいに、パリの芸術運動の一時期の中心地であった。その同じ通りにある小さなレストラン「Le Cette」も、その場所に相応しい、目立たないけれど文化的な香りのする、流行りを決して追いかけない落ち着いた雰囲気で統一されていた。店の一番奥の席にぼくらは陣取ることになる。眼鏡をかけた個性派俳優のような長身の紳士が僕らの前にメニューをそっと置いた。冬の光りが差しこんでいて、テーブルの上には温かそうな蝋燭の炎が静かに揺れていて、なんだか、名作小説に登場していそうな、ホッとする場所であった。静かな期待が膨らんでいく。
「寒い中、待たせてごめんね。お礼に」と眼鏡の紳士がカップスープをぼくらの前に置いた。口に入れた瞬間、思わず、オオっ、と声が飛び出した。これはきっと期待してもいいレストランかもしれない、と思った。じっくりと時間をかけて作られた単なる鶏がらのスープだが、ライムのような柑橘の酸味と香りを感じた。意外な組み合わせ。これは美味しい。前菜はサーモンのミキュイを頼んだ。ミキュイ(半生)と謳いつつほぼ生の状態に近い、僅かに半紙の厚み分だけ火があてられているような、信じられないほどに控えめな一皿だった。え? この味、フランス人にわかるの、と思って振り返ると、月曜日だというのに、ほぼ満席。
メインはメイグル(淡白な白身魚、日本名オオニベ)のオン・クルート。最初はパイ包みを想像していたのだけど出てきたものは白身魚の片側だけにブリックで膜を作り揚げ焼きしたような感じでサクサクなのに繊細な一品、各種野菜が周囲を彩っているけれど、一つ一つに丁寧な酸味やオイル感、塩加減が与えられている。横の常連客も同じものを食べていて、目が合って、ウインクをされてしまう。眼鏡の紳士が持って来た白ワインはサンセールだった。でも、酸味はなく、程よいミネラル感が魚との相性抜群で、珍しいですね、と告げると、そうなんですよ、と微笑んでくれた。自己紹介をしてくれた。彼の名はグザビエ、ここのオーナー兼ソムリエである。
二皿目はなんと牛タンのシチューだった。シチューと書いちゃうと身も蓋もない。牛タンとマッシュポテトとブラウンソースのバランスが素晴らしく、しかも、牛タンはナイフなど必要ないし、形があるのにマッシュポテト並に口の中で蕩けてしまう。牛タンの名店を日本で食べ歩いたことがあるくらい好物なのだけど、格別だった。二皿味わってみてわかったことがある。バターを表に出さない。使っているのだろうけど、冬の日差しで出来た影のように淡いので、感じない。胃に負担がない。この日記を書いている今も、胸やけどころか、もっと食べたいと思わせるものがあり、これはフランスのフレンチ料理では珍しい。けれども控えめというわけでもないし、へー美味しい、と思っていると最後に奥から出て来たのは日本人の青年であった。Keisuke Mizuguchiシェフである。グザビエがやって来て、彼の肩を抱きしめた。ぼくはすかさず携帯で一枚写真を撮った。いい笑顔のコンビじゃないか。この店は通える店だなと思った。
Le Cette
7 Rue Campagne Première, 75014 Paris
01 43 21 05 47