JINSEI STORIES
滞仏日記「フランス人のそれぞれのクリスマス」 Posted on 2019/12/23 辻 仁成 作家 パリ
某月某日、フランスはクリスマス休暇に入ったのとストの影響でどこにも行けず子供たちは暇を持て余している。前に日記で予言した通り、ストはクリスマス突入が決定的となった。正月までには解決してほしいところだけど、それも相当怪しい。今朝、息子が、「クラスメイトを呼んでラクレット・パーティをやりたいんだけど、いいかな? 昨日、学校で全校生徒の前でクリスマスライブをやったんだ。その打ち上げも兼ねて」と言い出した。慌てて時計を見ると11時だった。日曜なので12時で近くのスーパーは閉店してしまう。慌てて二人で買い出しに出かけた。
ラクレットについてはここで何度も書いてきたから今更なのだけれど、おさらい。ラクレット台の上でジャガイモを温め、その中段にある個人用プレートの中でラクレットチーズをほんわか溶かし、生ハムやサラミをあわせて食べる、いわば、フランスにおける「鍋」的な位置にあるスイス&サヴォア地方の料理だ。これが子供たちに大人気。家でパーティをやる時はだいたいこれかな。出席者はエミール、アントワンヌ、ティボ、イヴォン、そして息子の5人。音楽サークルの仲間たちである。ジュースとかピーナッツとかも買い込んだ。子供と書いたけど、みんな僕よりも背が高く、髭も生えている。酒とたばこはやらないけど、この年の子たちくらいになると結構やってる子ばかりなので、この子たちはかなりおとなしいグループということになる。「日本の鍋は世話好きな誰か一人が鍋奉行とか鍋大臣を担当し盛り上げるんだけど、フランスはどうなの?」と彼らに聞いた。ぼくの酷いフランス語が通じるわけがないので、全員が(?)という顔になった。
一応、ぼくがミュージシャンであることは全員が知っていて、変な言い方だけど、注目を集めた。音楽についていろいろ質問をされたので、語るより演じようということになり、いきなりセッションが始まった。イヴォンはピアノが上手で彼がブルースコードを弾き、息子がビートボックスでリズムを刻み、ぼくがリードギターを弾いたら、大盛り上がりとなった。音楽の力は偉大だ。曲作りのアドバイスをしたり、実際レコーディングをやったり、もちろん、おしゃべりも弾んだ。
イヴォンはロシア系、アントワンヌはベトナム系、エミールはアラブ系で、ティボはユダヤ系である。もちろん息子意外は全員フランス人だし全員カトリック系の高校に通っているのだけど、純粋なフランス人の家系ではない。ユダヤの人たちは12月の22日から30日までがハヌカと呼ばれる期間になる。その一週間は毎日プレゼントを貰うのだ。アラブ系の子たちはイスラム教なので当然クリスマスを祝うことはない。ロシア系の子はクリスマスを祝うけれどカトリックではなくオルソドックス、なのでちょっと祝い方が異なっている。アントワンヌはベトナム系だから、顔がアジア系でちょっと息子にも似ている。フランスはベトナムの宗主国だった。だからフランスにはベトナム系が多く、しかも亡命してきた一族の出身者も多く、今のベトナムのことを知る人は少ない。息子は信仰を持たない。でも、実はこの感じがパリのフランス人をよく表している。百パーセントフランス人を探すのが難しいのが今のパリかもしれない。
「クリスマスはどうするの?」
とぼくが最後に質問をした。全員が、それぞれ、という顔をしてみせた。フランスでは宗教が違う人のことを考慮し、この時期、「メリークリスマス(ジョワイユー・ノエル)」とは言わず「ボン・フェット(よいお祝いを)」と声を掛け合う。
「あの、日本人はクリスマスを祝うんですか? 家にクリスマスツリーとか飾ったりしますか? 」
とティボが質問した。
「うん、するよ。クリスチャンは少ないけど、日本人はクリスマスケーキを買うし、クリスマスプレゼントを交換し合うし、メリークリスマスっていうよ」
と息子が素早く答えた。
「クリスマスにはパパにプレゼントをもらって、正月にはお年玉、つまりお金を親戚中から貰うんだ。この時期、子供たちは幸せになるよ」
と付け足した。一同が、いいなぁ、と羨ましそうな顔をした。息子は一月生まれなので、誕生日プレゼントも必要になる。息子がちらっとこちらを見て、ニヤっと笑った。