JINSEI STORIES
滞仏日記「試験中の息子に叱られてしゅんの巻」 Posted on 2019/12/13 辻 仁成 作家 パリ
某月某日、昨日、今日、明日はバカロレアの練習試験(エグザマン・ブロン)なので、我が家はそれなりに臨戦態勢である。すでに何度か試した(この日記にも書いたことがある)朝ごはんの罠、丸椅子の上にサンドを載せて、トイレ前の気づきやすい廊下に置くというアレを、今朝もやった。朝、起きるとすでに彼は登校した後で皿は空になっている。シメシメ、食ったな。しかし、今日の夕飯時に「あれ、ほんと危ないんだよ。朝、暗いし寝ぼけてるから何度もぶつかって皿を割りそうになった。ほんと、やめてもらえる?」と怒られてしまった。「だってな、日本のサムライは、腹が減っては戦ができぬ、って言ってたんだぞ。食べとかないと腹が鳴って集中できないだろ」「サンドは嬉しいけど、子供が地面に穴掘って人突き落とすような仕掛けなんだよ、アレ。キッチンに置いといてくれたら、必ず行くんだからさ、大人なんだから分かるでしょ? なんで暗い廊下のトイレ前にわざわざ仕掛けるわけ?」ちょっと考えて、息子の言う通りだなと思って、えへへ、と誤魔化した。「えへへじゃないよ」「で、試験はどうだ?」「ああ、おかげさまでいいよ」「百点か?」「あのね、なんで百点か0点しかないの? 日本の大学入試じゃないから、マークシートみたいな回答はないんだよ」
「大学入試共通テストの記述式問題見送りの方向で調整」というニュースをちょうど今日、読んだところだった。その一週間前に、国際学習到達度調査(PISA)が日本の学生の読解力の低下が著しいと伝えていた。日本の大学入試はいろいろ問題が出ているようだけど、なんとかレベルをあげたいと思ってやられているのだから、見守りたいけれど…。記述式が見送られた件も、フランスで子供を育てていると、こちらでは記述式(論述式を含む)しか回答がないので、これじゃあ、PISAの結果が悪くてもしょうがないな、と思ってしまう。何も世界基準に合わせる必要はないが、せめて読解力だけは伸ばさせたい。いい子に育ってくれたら、もちろん、それが何よりなのだけど…。
「パパ、あのね。何点取ったかというのは本当に先生がぼくの考えにどこまで寄り添うかによるし、点数よりもこれから求められているのは子どもたちのクリエイティビリティなんだよ。というのか社会はそれを求めている。だから、クイズ番組みたいな方法で合否は決まらない。ぼくらはずっと議論をするし、その議論が試験にもなる。〇✕回答はない、全部論文なんだよ」「あのさ、日本はちょうど今日、五〇万人の受験生の回答を約一万人弱の採点者によって採点する方法が決まりかけていたんだけど、見送られそうなんだよ。いいと思う? 悪いと思う?」「あのね、ぼくはそういう質問が嫌いなんだ。答えは無限にあるでしょ。フランスだとそういう質問に長文で回答を出さなければならない。つまりその回答を先生たちが真剣に読む。時間をかけて採点者が審査し、優れた回答者を合格にする。これ、企業もそうだよ。だから、フランスの学校には〇か✕かという試験はない。だって、世の中って、そうやって決められないでしょ、価値が多様化してるんだから。ネゴシエーション力が必要なんだよ。フランスの大学受験はバカロレアなんだけど、パパも、ちょっとその仕組みについて勉強したら?」「ぎゃふん」
とにかく、12月号(たぶん、先月発売の)中央公論「国語の大論争」の中で、ぼくは詳しく日仏の受験制度の違いなどについて持論を書かせてもらった。(息子君には読めないけれど、いひひ)関心のある方はこちらを参照頂きたい。日本とフランスの大学受験の仕組みは根本から異なっていて、その差は大きい。PISAの結果などに衝撃を受けて文科省の方々も改革を急ぎたいのだろうが、これは簡単ではないのかもしれない。12月のこのタイミングで受験生もきついだろう。ここはしっかりと論争をして、出口を探すしかない。個人的にフランスの教育システムは(細かな問題や無理はあるにしても)悪くないと思っている。1808年ナポレオンによって導入されたバカロレア(大学入学資格)は実にユニークで子供たちの良いところをぐんと伸ばさせる仕組みである。あ、もうこんな時間か、このことはまた今度、二年後のこの日記で、つまり、息子が受験のタイミングで細かくリポートさせてもらうことにしよう。二年後の自分…。おーい、辻君。