JINSEI STORIES
滞仏日記「息子に朝食の罠を仕掛ける」 Posted on 2019/11/28 辻 仁成 作家 パリ
某月某日、どんなに頑張っても眠れない時がある。我が家で一番落ち着く場所、キッチンに行き、仕方がないからワインを飲んで、眠くなるのを待った。仕事も頑張らないとならなけれど、息子のことも気になる。ぼくは本当にちゃんと息子を育てているのだろうか、ということだ。彼は幸せだろうか? 学校はうまくいっているのか、ガールフレンドのことや、進路のことなど、考えてもキッチンで出る結論などはない。
高校生になってから息子は自分で起きて、勝手に登校する。目覚ましが、6時、6時30分、7時、7時10分、7時15分と5回も鳴る。低血圧だからか朝は機嫌が悪い。だいたい買いだめしているベルギー・ワッフルか、得意な焼きニョッキを自分で作って食べて出かけている。ぼくも息子の登校前に目覚ましをかけているので一応、時間に顔を出し「いってらっしゃい」だけは言って送り出している。
眠れないので、ついでだから、彼の朝食用にハム野菜サンドイッチを作ってみた。昔は毎日、弁当を拵えてた。今はもう必要なくなった。でも、たまには朝飯を作ってやりたい。気が付いたら、冷蔵庫を漁っていた。出来上がったサンドイッチを眺めながら、それをどこに置くか、で悩んだ。キッチンに置いとくと気づかない可能性がある。目立つ場所に置かなければならない。食べていいんだ、と思える場所にそっと置く。それはどこだ? 必ず、気が付く場所があるはずだ。朝、人間はお手荒いに行く。歯を磨き、用を足す。ならばトイレの前に置いておくのがいいだろう。ぼくはアンティックの丸椅子をそこに置き、その上にサンドイッチを載せてみた。
悪くない。でも、あまりにトイレの前過ぎないか。ほら、食え、と言ってるようじゃないか。こりゃ、いかん。そこで、廊下の曲がり角、(その先にトイレがある)に移動させた。おお、ここがいい。朝食を用意したぞ、という意思がきちんと届く。さりげないけれど、明確なメッセージが備わっている。安心したら、なんとなく眠くなってきた。息子がこれを食べたかどうかは、目が覚めたらわかることだ。
朝起きてトイレに行くと、丸椅子はキッチンに片づけられており、お皿はシンクの中に入っていた。父と息子、だんだんとすれ違うようになってきた。ぽつんと、シンクの中の皿…。会話は無いけれど、なんとなく、息子と話せた気がした。父と子なんて、こんなものかもしれない。