JINSEI STORIES
滞仏日記「人間万歳、と思う時のぼくをぼくが好きになる」 Posted on 2019/11/08 辻 仁成 作家 パリ
某月某日、異国の、見知らぬ旧市街の、一度も入ったことのない、地元民ばかりでごった返す立ち飲み屋(バル)に突撃して、平然とその人だかりの真ん中に、さも、地元民のような顔をして、紛れ込んでは、人々の会話に、スペイン語も話せないのに参加して、彼らの日常会話に相槌だけで乗り込む、そういう度胸がぼくにはある。
片言の英語と、もっと片言のスペイン語と、時々、フランス語を飛び道具みたいに駆使し、さらには彼らが一つも理解できない日本語で会話に参入して、周囲のスペイン人たち(一部は外国人)と普通に仲良くなってしまえる60歳の日本のオヤジはどうなのかな、と思いながらも、めっちゃ盛り上がっている。
でも、最終的には言語なんか話せなくても、ぼくは全然平気なのだ。
人間はみんな同じだとどこかで思っているので世界中の人たちと理屈抜きで親しくなれるし、不条理だと思えば喧嘩も出来る。
それはアンダルシアのバルであろうと、レイキャビクのカフェであろうと、タンジェのタジン屋であっても、ブタペストの民族レストランであろうと、新宿三丁目の居酒屋でも、どこであろうと一緒だ。
ぼくを担当してくれた給仕さんは本当に不愛想で、それはきっとぼくのことを外国人のいつものパターンと思ったからであろう。
ま、「そう思うならそう思え」とぼくはぼくらしく振舞っていたら、怖い顔で笑顔など浮かべもしなかったこの人が、ぼくの何気ない一言で、不意にクスッと笑った。
で、ぼくにもその笑顔が感染した。
その瞬間に、ぼくは世界と繋がった気がしたのだけど、だからといって感動するわけでもないし、態度が変わることもない。
普通に世界が愛おしいと思っただけである。
「世界一美味いセルベッサ(生ビール)!」
と空になったグラスを差し出し、そういうやり取りの中で、次第にいっそう仲良くなっていった。
それがぼくが思うところの世界言語なのである。
この人たちは観光客相手に笑顔なんか向けないのかな、と思っていると不意に民族の違いとか乗り越えてぼくのようなおじさんに笑顔を向けてくれたりするのだから、こういう瞬間にこそぼくは、世界は別に一緒じゃん、と思ったりもする。
ぼくが世界中旅するのは、そういう人間の垣根を乗り越えた瞬間のごく普通の人間味に出会えるからだけど、う~ん、こういう理屈わかるかな。
政治とか宗教とか民族とか思想とか違っても、通じ合えるものをこそぼくは信じていたい。
通じあえるもの、それは人間味であろう。
ただ、それだけのために、こうやって見知らぬ土地を一人で巡ってぼくは確かめているのである。
給仕のおじさんはぼくが食べたもの、飲んだものの金額を全てカウンターの上にチョークで書いて、最後、小学生が計算するように支払額をはじき出し、いくらです、と言ってくる。
この人たちが老けないのは、世界をこうやって相手にしているからだろう。
聞けば、セビリアで一番古いバルなんだとか。
これだから、旅はやめられない。
明日もぼくは見知らぬ街の街角を歩き続けることになる。
人間万歳だ。
El Rinconillo
Calle Gerona, 40, 41003 Sevilla