JINSEI STORIES

滞仏日記「緊急事態、子供たちを預かることになった」 Posted on 2019/10/22 辻 仁成 作家 パリ

某月某日、大変なことが起こった。友人の二人の子供たち、13歳のマノンちゃんと8歳のニコラ君を我が家で一晩か二晩、預かることになったのだ。親しくしていたご夫婦に大変なことが起きた。詳しいことはここには書けないけれど、ともかく、緊急で預かってほしいとご夫妻双方からワッツアップ(仏版ライン)が入った。息子に相談をすると、仕方ないね、と少し不安そうな顔で同意した。上の子は女の子だから、緊急事態じゃなければ断るところだ。よっぽど困ってなければうちなんかには頼むことはないだろう。だって、ぼくはシングルファザーの、しかも仏語も拙い日本人なのだから・・・。

午後、ムッシュの方が二人を連れてきた。ごめんなさい、と彼は何度も謝った。でも、かなり憔悴している感じなので、大丈夫だよ、とぼくは返した。マノンとニコラも不安だろう。ぼくは笑顔で、さあ、自分の家だと思ってゆっくりしていきなさい、とフランス語で優しく言った。渡仏してすぐに買った、つまり18年前のソファがベッドになることを思い出し、息子を引っ張り出し、即席のベッドを拵えた。ギシギシ、スプリングの音を立てながら、18年前の古いソファベッドが動き出した。そのダイナミックな動きをマノンとニコラは目を丸くして見つめていた。ベッドメイキングをやり、仕事部屋との間がガラス窓なのでそこを新聞紙で塞ぎ、彼らがのんびりと気にせず過ごせるようにしてあげた。なんか、ホテルみたい、とマノンが言った。TSUJIホテルさ、とぼくが言った。

滞仏日記「緊急事態、子供たちを預かることになった」



ニコラがうつむいていたので、何とかしなきゃと思い、息子の力も借りて、みんなでパンケーキを作ることにした。息子に、ちょっと彼らの家が大変なんだ、お前はお兄ちゃんなんだから遊んであげなきゃね、とお願いした。4人で狭いキッチンでパンケーキを作った。
「いいかい、今日はぼくがシェフだ。みんなにパンケーキの作り方を教えてあげるよ!」
「はい、シェフ!」
と息子がわざと大きな声で言った。二コラも小さな声で、はい、シェフ、と従った。マノンはお姉ちゃんなので、クスっと笑っただけだった。よかった。ぼくのフランス語は通じている。
ニコラに小麦粉、バター、砂糖、ベーキングパウダー、卵の入ったボウルを手渡した。彼はぼくが教えた通り、泡だて器を使って、ぐるぐるとやりはじめた。その必死な表情、そして幼い手を見つめながら、小さかった頃の息子のことを思い出した。ぼくらもこうやって苦難を乗り切ってきたのだった。がんばれ、と思わず日本語が飛び出した。パパ、日本語はわからないよ、と息子が横から口を挟んだ。

滞仏日記「緊急事態、子供たちを預かることになった」

滞仏日記「緊急事態、子供たちを預かることになった」

パンケーキが次々に出来上がっていった。ニコラが笑顔になった。マノンも笑っていた。焼きあがったパンケーキにシロップとバターを載せてみんなで食べた。なんとなく、即席の家族のような感じとなった。息子とマノンは年が近いので話があった。息子がマノンに勉強の仕方などをアドバイスした。兄と妹のような感じに見えなくもない。息子はいつも一人だったので、家族が増えて嬉しいみたいだ。よかった。なんとかなる、と安心した。シャワーを使う時はドアに「使用中」の紙を貼ることが決まった(我が家のバスルーム兼トイレの鍵が壊れているせいで)。入る時は必ずノックすることを義務付けた。決めなければならないことがたくさんあったので、子供たちに自主性を与えるため、自分たちで「こうしよう、こうするべきだ」決めさせることにした。この作戦はわりかしうまくいった。食べたら食器をかたずけようと息子が言いだした。(偉くなったものである!)わたし、洗います、とマノンが言った。会話は全てフランス語だった。ぼくが分からないところ、子供たちは早口なので、そこは素早く息子が通訳してくれた。

そんな感じで初日はなんとかなった。夜ご飯を食べ終わると、みんなで寝る準備をした。シャワーを浴びさせ、みんなで一列になり、歯磨きをした。マノンに、君がニコラの横で寝て、お母さんのかわりをするんだよ、と教えた。うん、と彼女は頷いた。何かあったらぼくか息子を起こして構わないから。冷蔵庫の中にジュースが入ってる。お腹がすいたらお菓子やパンをテーブルの上に置いておくからね。うん、シェフ、とニコラが頷いた。ぼくは彼らが寝るまで小説を書きながら、様子を見ることにした。

深夜、子供たちのお母さんからメッセージ入った。
《ムッシュ、ありがとう。大丈夫でしたか? ごめんなさい。あなたにしか頼めなかった。でも、心から感謝しています。私たち、ちょっと大変だけど、なんとか乗り切るので・・・》
ぼくはパンケーキの写真を二人に送った。二人に愛を込めて、とひとこと添えて。

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