JINSEI STORIES
滞仏日記「このままでは日本は滅びるのか?」 Posted on 2019/10/20 辻 仁成 作家 パリ
某月某日、ユニクロ柳井会長の「このままでは日本は滅びる」というインタビュー記事を読んだ。「ひょっとしたら発展途上国になるんじゃないかと僕は思うんですよ」と柳井会長が発言されている。ぼくは日本が滅びることはないと信じ続けているけれど、先の日記で、現在の先進七か国G7が近い将来なくなるかもしれない、とは書いた。柳井さんの考え方とは違う角度で、気になっていることがあった。今日はそのために一日の多くの時間を費やすことになった。
中央公論が12月号で「国語の論争」について特集する。そこで寄稿の依頼を受けた。文科省によって「大学入試改革」と「高校の指導要綱改定」を含んだ、教育改革の計画と実施が進んでいるのだという。「その中に、日本の「国語」を、実用文の読解を目指す「国語」と文藝鑑賞を目指す「国語」に分ける動きがあり、文学の重要性を否定するわけじゃないが、まずは実用的な国語を充実させることを強調している」とのことだった。そこで、ぼくのところに舞い込んだ依頼は、フランスで生まれ育った息子を育てる中で感じた日本の「国語」改革について、である。
普通はこの段階で引き受けるかどうかを決めるのだけど、ぼくは専門家でもないし、ちょっと気になることもあり、中央公論社編集部に直接電話をかけて、担当の方とお話をさせていただいた。まず、ネットで大代表の番号を調べ、名を名乗ったら、繋いで頂けた。「本誌では文学を国語から切り離し、文学の優先度を下げる方針で本当にいいのかどうか議論を持ちたい」と担当編集者さんは言った。十分ほど話しをして、要点が理解出来たので、ご期待に副えるかどうかわからないけれど、と前置きし引き受けることになる。そして、その二日後、ぼくは秋休暇中の息子の部屋をノックした。
「ちょっといい?」
「なに?」
「国語の話がしたい」
「国語?」
ぼくがこの18年間、この国で生活をし、息子を育ててきた中で、感じていたこともあったし、そのことを当の本人はどう思っているのかをまず聞きたいと思った。形式としては取材という感じになった。息子が関心を示すかどうかわからなかったが、中央公論からの話をかみ砕いて説明したところ、面白いほどこの問題に食いついてきた。
「日本は文学を国語から捨てるの?」
彼には少し難しいテーマなので、何度か訊き返された。日本語とフランス語を混ぜながらの会話なので、どこまで伝えられたかはわからなかったし、またはっきりとどの程度、文学を国語から切り離すのかはわからないとした上で、そういう議論が起こっている、と説明した。実は文科省が考えるこの文学を切り離す国語改革の発端の一つに、OECD加盟国で行われている共通テストの結果が影響しているようだ。日本の学生たちの実用文読解記述式問題における成績がふるわなかったのだという。そこで文科省はマーク式だったセンター試験に記述式の問題を加える方針で検討に入った。この流れについては支持できる。むしろ、遅すぎるくらいじゃないか、と思った。でも、問題はその大学入試改革を受けて、文学が切り離されることにある。
「パパ、マーク式なんてフランスにはないから」
と息子が断言した。そして続けて、「けれど日本文学を日本の国語から排除するのは違う気がする」という現役フランスの高校生は面白いことを言った。何か彼を興奮させるものがそこにあるようで、彼は立ったまま、幼稚園の頃から高校生の現在までどのような国語教育がフランスでなされてきたか、また、その教育を彼自身受けてきたのかを力説しはじめた。日仏の文化を行き来するからこその、それはとっても興味深い内容で、ぼくは中央公論の仕事であることも忘れて、日本語を生業にしている一人の作家として、息子の説明に真剣に耳を傾けることになった。その中身は来月発売の中央公論に(掲載されるのであれば)譲ることにするが、もし、まだ改革に余地があるのであれば、自国の文学を重視してきたフランスの姿勢について日本の文科省の皆さんにも読んでもらいたい。それは「日本を滅ぼさないために」大事なことでもある。