JINSEI STORIES
滞仏日記「スーパージェントルマン、宮本亞門について」 Posted on 2019/10/17 辻 仁成 作家 パリ
某月某日、パリに戻る準備をしながら、残されたわずかな時間を利用して、月末に出る母の半自伝エッセイ集「84歳の母さんがぼくに教えてくれた大事なこと」の取材をいくつか受けたりしている。会う人会う人に「オーチャードホール、残念でしたね」と聞かれるので、ちょっとうんざり気味だ。残念だけど、もう気持ちは5月に向かっているので、いつまでも残念がってられないし。振り替えになった5月24日のライブをさらによくするためのことしか今はもう考えたくない。
夕方、友人の宮本亞門氏がコンセプターのきょんさんを連れて、夕飯を食べに宿までやって来てくれた。この二人はぼくが日本に滞在しているとおよそ一度は必ず会う仲間。だいたいはぼくが宿で料理を振る舞うのだが、今日も冷蔵庫と相談をしながらいろいろな創作料理を拵えた。
亞門さんも開口一番、コンサートが台風で延期になったことを聞いてきた。亞門さんは疑問をたくさんもった小学生という感じで、好奇心だらけの質問魔。どのタイミングで、コンサートの延期って決まるの? だいたい誰が決めるの? 決まった後、どんな気持ちが続くの? それをどうやって乗り越えたの? と利発な小学生みたいに矢継ぎ早に浴びせてくれる。質問をかわし、話題を変えても、またそこへ戻ってくるので、芸能レポーターばりのしつこさがあった。面倒くさいので、「厄年だから」と全ての責任を厄年のせいにしておいた。すると、思い当たったことがあったのか、「ぼくも去年厄年だったから、ほら、手術もしたし、本当にね、厄年ってものはあるよ」と話題にはりついてきた。そこから暫く亞門さんの病気のこと、病気から完全に復帰されたこと、最近、二本も大きな舞台演出をされたばかりだということ、などの話になった。「だけど、もう完全復活じゃん」とぼくがいうと「でもね、ちょっと鬱っぽくなることもあるんだよ」と言った。実はぼくも「鬱になることが多かったので」二人でその時の自分たちの様子を演じて見せたりして、笑い合い、更年期障害って男にもあるらしいし、と話しを強引にまとめることになる。
宮本亞門さんの創作の根本に、自分が納得するまで状況を分析しないと気が済まないこだわりがある。それが宮本亞門の演出力を支えている気がしてならない。亞門さんの舞台は何本か観たけど、どう人や光りや世界を動かすか、に長けた演出家というイメージ。タイプは違うけど、蜷川幸雄さんも本を書かない。このお二人、誰かが書いた本を無限の好奇心で学習し、自分のものにされてこれまでにない発想で再建築する舞台上設計士なのである。ぼくは自分で本を書いたものしか演出をしないタイプなので、物語が優先になりがちで、いつの頃からか、この物語をバサバサと現場でカットしては予定調和にならないように苦心するようになった。根本から違うタイプの演出家なのだが、だから気が合うのかもしれない。
ぼくは宮本作品が昔から好きだったので、15年くらい前にとあるパーティ会場で亞門さんを紹介され喜んで挨拶に行ったら、「ああ、君ね」というもの凄く冷たいあしらいを受けたことがあり、亞門さんの第一印象は最低であった。その時の彼は今を知るぼくからは想像もできないほどに嫌な演出家先生だった。「なんだこいつ」と珍しく怒って、そこから出たのを覚えている。一昨年だったか、ベルサイユ宮殿でマクロン大統領主催の皇太子殿下(現・天皇陛下)のお食事会があり、その最後、ぼくはちょっと急ぎの用があったのでカクテルパーティの合間に抜け、飛び出そうとしていると、ぼくの前を塞いだのがなんと宮本亞門さんであった。すぐに氏とわかったけど、15年前のこともあったので、どうしたものか、と思案し動けなくなった。すると、「いつも辻さんの音楽を聴いてるんです」と亞門さんが言い出した。「何の音楽ですか」「これまでの曲とか、好きで、YouTubeで探して聞いています」その自然なものいいが、いつもテレビで見ている亞門さんだったので、ぼくもようやく誤解をほどくことができた。15年前に無視されたことがあります、と隠さず正直にお伝えすると、物凄く驚かれて、「あ、いや、ぼくは人見知りで、緊張するとそうなることがたまにあるんですよ、許してやってください」と言われた。確かにぼくにもそういう、常識とか心とか、何かが抜け落ちる瞬間というのはある。でも、どうやら今目の前にいる彼こそ、普段の宮本さんであるようだった。
ということでぼくらは仲良くなり、ぼくが日本に戻るたびに何か拵えてお食事会の時間を持っている。二人とも友達がいないのと、創作が仕事という特殊な環境の共有から、お互いの孤独がよくわかることもあり、これがきっかけで驚くほどに仲良くなった。同世代だからか、育ってきた道、環境や観てきたもの、触れてきたものが一緒で、話が尽きず、一緒にいると心地よいことがわかった。
今、ぼくらは何か一緒に創作やれたらいいね、と話し合っている。男の子というのはこういう作戦会議をしているときが一番幸せだったりするのだ。今まではずっと一人で創作をやってきたので、亞門さんが演出をするなら、ぼくは脚本、または音楽、または、俳優だとか、・・・笑。いずれにしても愉しみな関係である。宮本亞門、久しぶりにぼくの人生に登場したジェントルマンな友達なのである。同席していたきょんさんが、二人とも小学生みたいだけどね、と笑った。誉め言葉であればいいのだけど・・・。