JINSEI STORIES
滞仏日記「ほっとけ、とたまには思う夜もある」 Posted on 2019/10/07 辻 仁成 作家 パリ
某月某日、還暦を迎えた日に会ったのが古舘伊知郎さんだったというのが、なぜか、あの日からぼくのちょっとしたトラウマとなった。古舘さんはとっても素晴らしい人だったが、60歳を迎えた日に例えば家族とか仲の良い素敵な女性とかが「ひとさん、おめでとう。乾杯」とシャンパンの一つでも注いでくれて、甘い老後へ向けて素敵なバースデイナイトをおくったとしてもおかしくないし、誰に文句を言われる筋合いもないのに、なぜか、その日、ぼくは古舘伊知郎さんと、横に構成作家の同年代っぽい方がいたけれど、ニッポン放送のスタジオで、60歳を迎えて、あとは宿で筋トレをやって過ごした自分が、どこかあまりに寂しい人のように思えて、ごめんなさい、古舘伊知郎さんのせいじゃないのに、なんでか、古舘さんが眉毛を激しく動かす時に、あ、この眉毛の動きは仕事で、つまり、これは仕事でここにぼくがいるという証拠だ、と思ってしまって、実は、あれからずっと、ぼくは軽い衝撃を受け続けている。
息子たちもいなく、妻なんていないし、ぽつんと、東京で、コンサートに向けてリハーサルをやっている60の自分は、人間としてどうなんだろう、と考えてしまった。一生の一番大事な日といってもいいような再生の還暦日に、それまで一度もご縁のなかった古舘伊知郎さんの番組を選んだのは誰でもない自分なんだから、つくづく、ワーカホリックにもほどがある、と思ったし、仕事とは関係ない若い友人から「何か、辻さんは自分を追い込み過ぎているし、なんでそんなにストイックに頑張らなきゃならないのかわからない」という本音のメッセージまでもらって、きっとそういう風に世の中的には思っている人が多いのだろうな、と思ったら、泣けてきた。ああ、でも、古舘伊知郎は本当に素晴らしい人だったけど、・・・なんで還暦の日に・・・ううう
還暦から二日後の今日は、宮根さんのミスターサンデーにもゲスト出演させていただき、タイタンのマネージャーさん曰く、テロップでオーチャードホールの宣伝も何気なく入れて頂いております、と言われて、ああ、宣伝なんだよね、宣伝力ないから有難いね、と思いつつ、でも、自分はコメンテーターには向かないと思っているのも確かで、宮根さんとは思えば番組中、ずっと雑談しかしていないし、経済や情報についてまとまなコメントも出来てない作家だし、なんで呼んでくださるのか、いまだに謎なのだ。ぼくなんかでいいの、と終了後、タイタンの大島君に言ったら、全然大丈夫ですよ、と言われて、その一言は有難かったけれど、なるべく考えないようにしようと思った。宿に戻る途中、コンビニで、サラダとおにぎりを買ってから戻り、今これを書いている。
人間はカッコ悪いことが好きだ、とこれは十代の頃から思っていることだ。カッコ悪いことって、嘘がないからぼくは好きだ。
昨日、宿の近くのハイボールが高いバーに顔出したら、ぼくに気づいたお客さんが「自分は滅多に話しかけないのだけど辻さんだから」と言って話しかけてこられた。息子さんのことやお弁当作りの苦労なんかを赤裸々に語っているのが好感持てると言われた。一人になりたかったのに話に付き合ったのは自分で、こういうサーヴィス精神というものにほんとうにうんざりする。疲れ切っているのに、調子こいて、弁当作家が、見知らぬお客さんとべちゃちゃ話すんじゃね~と自分に腹が立って仕方なかった。僕はその反動で、コンビニで角を買って帰り、自分でハイボールを作って宿で飲み直している。持論で申し訳ないが、ハイボールは角が一番うまいんだよ。高級ウイスキーのロックなんか飲めるか。時々ぼくがシャンパン好きだ、と書いているからか、庶民の敵みたいなこという人もいるけど、一日一食しか食べないぼくが何を飲もうが余計なお世話じゃないのか。
つまり、世の中というのはこんな初老のぼくにさえ、いちいちなんか言いたいのだ、もし若いこれからの君が誰かになんか言われて苦しいと思うなら、利用されていると思うなら、踏み台にされていると思うなら、他人がごちゃごちゃ言うのを気にするな。この星にいる人間のほぼ97パーセントは100年後もう地上にはないのだ、いずれ消えてなくなる人間ばかりだってことを思い出せ。今が苦しくても5年後にそいつらは目の前にはおらず、みんな違う人生を生きている。苦しみを背負って生きる必用なんかない。自由は勝ち取るものだ。それだけは言わせてもらう。命をかけてもいいのは、自分が自由に生きるためにするすべてのことに対してだけなのである。まだ、60程度で、丸くなりたくない。だから角をぼくは飲み続けるんだ。