JINSEI STORIES
滞仏日記「ひとりぼっちの誕生日」 Posted on 2019/10/05 辻 仁成 作家 パリ
某月某日、静かな誕生日になった。ライブ前だからみんな遠慮してか、何の誘いもない。朝、コンビニで前の日に買っておいた豆腐麺とひきわり納豆を胃に流し込んで、午前中、近所の神社まで走り、ライブの成功を祈願し、宿に戻ってパソコンを開きだらだらと仕事した。
夜、古舘伊知郎さんのオールナイトニッポンにゲスト出演した。ライブの宣伝なのだけど、「誕生日に仕事いれてもいいよ、どうせ一人だし」、と言ったのは自分だった。そして見事に誰からも誘いはなかった。還暦の誕生日って、こんなものかもしれない。
ニッポン放送に着くと、かつてのリスナーらしき人が数人待っていてくれて驚いた。でも、内心はめっちゃ嬉しいのに、その喜びを顔に出さず、ぼくは中に入った。30年とちょっと前、ぼくは2年間、このビルに毎週月曜深夜にやって来ては、カード(はがき)を読んだり、レコード室に入り浸って選曲をしていた。ぼくのオールナイトニッポンは第二部でデーモン小暮閣下の後だった。まだ作家になる前で、小説は書いていたけれど、若いバンドマンだった。でも、熱かった。熱く語っていたと思う。リスナーも熱い人が多かった。
ニッポン放送の廊下を歩きながら当時のことを思い出した。楽屋に当時お世話になったディレクターさんらが次々と顔を出してくれた。新しく就任されたばかりの社長さんがケーキを差し入れてくれた。なんか、ちょっとは還暦っぽくなって、有難かった。で、いきなり本番となった。出演予定は15分。それが誕生日のぼくに与えられた持ち時間だった。
でも、初対面の人間というのは面白い。目が合った時に、だいたいの意思交換が出来る。ぼくはこの人とは話が出来ると瞬時に思った。すると楽しくなってどんどん語ってしまった。話すことに飢えていたのかもしれない。話したかった。言いたいことはいくらでもあるのだ、と思った。最近、誰とも話す機会がなかったから、純粋に本気で話しが出来る人との出会いを喜んだ。「番組をジャックされた状態ですね」とからかわれた。でも、出演予定時間が過ぎると、「11時台も少し残ってください」と言われた。なんだか、嬉しかった。なぜなら、誕生日だったからだ。生放送を聞いてくれている人が日本のどこかにいるんだな、と思うと、なぜか20代の頃の自分が脳裏に蘇った。あの頃、ぼくはなんであんなに語りたかったのだろう。そして、今日、それを思い出したのだろう。きっと、古舘伊知郎さんがぼくにそういうムードを与えてくれたに違いない。初対面の力である。
ゲストに過ぎないのに、ぼくは古舘伊知郎さんに失礼なことをたくさん言ったと思う。なのに、帰り際、古舘さんの方からぼくに、「失礼なことを言ったかもしれません」と逆に謝られてしまった。このようなことをちゃんと言える人は少ない。凄い人だな、と思った。今日は来てよかった、と思って席を立ち、ブースから出ようとしたら、放送室のあの鉄の分厚い扉が外れて倒れたのだ。たまたま通過した後だったから、難を逃れた。放送作家さんかディレクターさんが素早く扉をおさえ、辛うじて事故にはならなかった。しかもドアが外れて倒れたというのに、パニックになるスタッフをよそに、古舘さんはガラスの向こうからぼくにむかって小さくお辞儀をし「今日はありがとうございました」と冷静に送り出してくれたのだった。すごいなぁ、とぼくは思いながらニッポン放送を後にした。外に出ると、「聞いていたよ」と待っていてくれた人が言った。今度は笑顔で深々とお辞儀をすることが出来た。みんな、生きていてくれてありがとう。心から、そう思った。