THE INTERVIEWS
ザ・インタビュー「福島の青年がパリで話題を集めるまでのデザインストーリー」 Posted on 2019/09/29 辻 仁成 作家 パリ
たまたま東京の居酒屋で隣同士になった松永武士くん。その彼が世界三大家具見本市の一つ、Maison & Objet(メゾン・エ・オブジェ)でなかなかの話題を集めた。ぼくは期間中、パリ市内のカフェで彼にインタビューを試みた。福島県浪江町出身の松永武士くんは300年続く老舗陶器店の4代目だ。2011年の大震災で浪江町は壊滅的な状態となった。あれから8年。陶器工場は白川に移し、残された技術をもとに、型破りにも世界を目指した武士くんの挫けることを知らない生き様、そのデザインストーリーに迫ります。
ザ・インタビュー、福島からパリへ、希望を持ち続ける青年、武士くんの挑戦。
辻 震災が起きたのが2011年で、それから8年経ったね。武士くんが福島の震災後、大変な状態を乗り越えて、世界最高峰のパリ家具見本市、Maison & Objet(メゾン・エ・オブジェ)に飛び出してきたというところに興味があります。
松永 武士くん(以下、敬称略「松永」) まずは5年前にパリのメゾン・エ・オブジェで福島県主催のブースに出す機会を得たのがきっかけです。その時は自治体のイベントでした。
辻 あ、なるほど。では、全く初めてではないのですね。
松永 はい。県の予算で福島県の工芸品とかを紹介したのですが、そこで初めてメゾン・エ・オブジェに参加しました。まだプロダクトの世界が全くわからなかった頃で、メゾン・エ・オブジェという世界最高峰の展示会があるということを知りました。そこでいろんな展示を見て、すごく刺激を受けました。
辻 その時は25歳くらい?
松永 そうです。そこで、何かやるんだったらここまで行かなきゃ、と思いました。
辻 職人としてそう思ったのだと思いますが、震災からまだわずかに3年後のことですよね?まだみんな心も折れてるし、なかなか新しい世界に挑戦しようっていう気持ちになれない時期でもあったわけで。それでもパリで刺激を受けて、自分も挑戦してみたいと思うところが、凄いね。どういう希望というか、光りを見つけたのですか?
松永 やっぱり、海外に行くたびに思うのが、日本国内だと縮こまっちゃう考え方というか、震災前に大学のインターンで中国の大連にいたこともあるのですが、もともと海外に住んでみたいなと思っていました。
辻 海外の空気に触れてみたいという想いが強かったのですか?
松永 そうですね。ずっと福島で暮らしていて、閉塞感にイライラしていたというのもありました。
辻 震災があり、逆に、外へでなきゃという思いが強くなって、結果、それが、IKKONに繋がるわけですね。
松永 僕らは震災によって一度ゼロ・リセットされているので、ゼロからのスタートなんですけど、技術は残っています。だからその技術を通して、日本人だけじゃなく世界の人にもわかりやすく伝える方法って何なんだろうって考えていました。もちろん、色とか形という視覚的なこともありますが、五感に訴えないといけないと思ったんです。それで、味覚だったら差別化できるんじゃないかなと思いつきました。それは、形が変わることで味に変化をつけるということなんですが、味覚というのはみんな同じ。ワイングラスの形が違うとワインの味が違うのと一緒で、お酒のぐい呑でも味が変わるんじゃないかなと思って実験をし始めて、実際に変わったので、その体験をすることができたら言葉は必要ないと思いました。
辻 IKKONのデザインは誰が考えられたのですか?
松永 寺内ユミさんという、佐賀県のデザイナーさんです。もともと東京でfranc francの創業メンバーだった方で、「franc franc」という名前も彼女が考案しました。
辻 デザイン業界では有名な方ですよね。IKKONは最初から福島だけではなく国内のいろんな方の力を合わせて作ろうと思っていたのですね?
松永 そうです。日本酒というのをもっと盛り上げたいなっていうのと、新しい味覚体験というものを提供したいとずっと構想していました。
辻 IKKONという商品名は、お酒を酌んで飲む、という意味の一献から来ているのですね?デザインのベースや発想はどうやって決まっていったのですか?
松永 IKKONは二重構造になっているのですが、その技術は元々持っていました。明治時代から存在する相馬焼の技術なんです。
辻 え!そうなんだ!!二重構造って最近の技術じゃないんだ!最近よく見かけるようになったから新しい技術だと思っていました。
松永 福島県は寒い地域なので、熱いお茶を淹れても冷めにくいし、湯呑みの表面は熱くならないんです。その技術があったのでそれを活かしました。それが唯一の福島の技術だったので。相馬焼は相馬市で生まれたのですが、浪江町大堀地区というのがあって、その地区の土がとても良かったから。正しくは大堀相馬焼という名前です。
辻 メゾン・エ・オブジェに単独で出展するまでの経緯をお聞きしたい。聞いたところによるとブース代が35万円、そしてブース施工代が100万円くらいかかったそうですが、それ以外にも下見やら輸送費やら、交通・宿泊費、通訳者への謝礼など、数百万規模ですね。それだけ資金をかけてでもメゾン・エ・オブジェに出展したいというのは30歳で相当な決意だと思います。成果も含めていろいろ聞かせてください。
松永 国内ではいろんな展示会に出ていました。だけど、世界の展示会はお金の桁も違えば、輸出になるとその手続きなんかも大変でした。先に空輸で送ったものが空港で止められたり、ハプニングもたくさんありましたね。空港で止められたものは日本に戻されました。知らなかったからのミスが結構ありました。
辻 展示目的か、販売目的かとかでもいろいろ違ってきますもんね。
松永 そうですね。僕が独自ブースで出展しようと思った決め手は、自分の中でダメでも一回最高峰に行ってみて、世界とは何か、また、世界との距離を図ろうと思ったからです。
辻 300年の歴史がある相馬焼が世界に通じるのかという検証を含めて、伝統的な陶芸品を出すだけではなく、世界の今に通じるのかということを試すということ?
松永 はい。あとは、自分が今やりたいと思っている時にやった方がいいのかなと思って(笑)。
辻 昨今、日本人が外の世界に出ない傾向にあるから、昔の日本人みたいに世界に出て行ってみようというその姿勢は、素晴らしい。どんん、評価だったんですか?
松永 評価はやっぱり、人種というか、国が違っても「味覚」というところで評価してもらえました。形の違いで味が変わるというコンセプトは届いたし、他のブースにはないことだったのでとても盛況でした。
辻 日本酒をブースで実際に試飲してもらったんですね?
松永 はい。福島の日本酒を持って行きました。外国の人は日本人より話したがるんだなというのも勉強になりました。ずっと話してるんです。意見もたくさんもらえました。
辻 ところで、展示を5日間やって、商談は成立したの?
松永 その場で買う人もいたり、あとから連絡して大きいロットで動かすという人もいます。あとからの方は口約束のところもあるので、ちゃんとメールで繋がないといけないです。具体的に何セット買うという人もいたので良かったです。来ている人は所謂、バイヤーですが、ユーロ圏と中東などからも来ていたので、面会は5日間で300社くらいしました。そのうち何人残るか、ですね。
辻 それは大盛況でしたね。でも世界で勝負する時に、福島の土が汚染されて使えないということなど、苦渋の選択もあったと聞きましたが、素になる土はどうされたの?
松永 一番安定しているのが愛知県の土で、IKKONはその愛知県の土を使って作っています。もともと福島には陶芸の学校がないので、窯元の人ってだいたい愛知県に勉強しに行くんです。
辻 福島の技術は消えるものではない。それを残そうというのが素晴らしいし、愛知県の土を使っても福島の技術が残っていく。先祖から受け渡された大事な技術が子孫を救っている。
松永 自分の生きて来た過程があったからこそできることっていうのがあって、福島県の人で東京にもいけない、海外にもいけない人がいて、自分はたまたま機会があって行くことができたけれど・・・。
辻 今、あの震災を振り返って、どう思われますか?
松永 常識が変わるというか、幸か不幸かはわからないんですけど、それによって僕みたいな若造が、焼き物で世界に出れるようになったりもした。年功序列の世界なので、昔ながらの仕来りとかいろいろある中で、パラダイスシフトが起こって、自分たちがやらなきゃっていうことができました。そして周りがその若い力を応援してくれて。ネガティブだけではなくて、震災をポジティブにしていこうという人間の力だと思います。
辻 ありがとう。こっちも元気を貰えました。相馬焼が世界の”SOMA”になる日を楽しみにしていますよ。
松永 あ、そういえば、言い忘れていました。実は、IKKONがオリンピック・パラリンピックの公式商品に選ばれたんです。(https://tokyo2020shop.jp/products/detail/2534)
辻 ええ? ほんとう? それはすごいじゃない。
松永 ありがとうございます! 自惚れず、少しずつ頑張っていきたいと思います。
辻 よし、また、来年の展示会で会いましょう。応援し続けます。がんばってください。
IKKON https://ikkon.life/
posted by 辻 仁成