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自分流日記「起きて半畳寝て一畳天下とっても二合半という生き方」 Posted on 2023/05/20 辻 仁成 作家 パリ

「起きて半畳寝て一畳天下とっても二合半」という言葉がある。
これはどうも古い禅宗の言葉だそうだけど、ぼくの人生をずっと支えてきた言葉なのである。
苦しい時はいつもこの禅の言葉を心の中で唱えていた。

ようは、人間一人が生きるのに(起きて座るのに)は畳が半畳もあれば十分じゃないか、仮に天下をとって将軍になったとしても一日二合半以上の米は喰えでしょう、ということ・・・。
つまりだ、人間、欲張っても、一生に必要なものが限られているし、天国には何も持っていくことはできないし、そもそも生きるのに、そんなに必要はない、ということのたとえなのである。
そして、学生だったぼくは、この言葉と出会った時に、肩の荷がおり、まさに、その通りだな、と思った。
それ以降、ぼくは、「起きて半畳寝て一畳天下とっても二合半」を座右の銘として、人生の横に携えてきたのである。

とくに、十代、二十代の若いころ、この「座右の銘」がぼくをどれだけ、救ったことか・・・。
一からやり直そう、と思い直すことは人生にはよくある。
このままじゃ、自分が潰されてしまう、と思う時、そのキャリアを捨ててでも、自分自身を守ろうと思う時、「起きて半畳寝て一畳天下とっても二合半」は本当に役立つ。
苦しくなると、欲が出ている証拠なので、この言葉を唱えた。
すると不思議なことに、だよね、畳一畳あれば寝泊りできるしね、と納得することができたものだ。
今も、そう心がけて生きている。
いつも、どこでも、ゼロから再出発する自信を、ある種の勇気を、この言葉がぼくに植え付けてくれたものである。

自分流日記「起きて半畳寝て一畳天下とっても二合半という生き方」



自分流日記「起きて半畳寝て一畳天下とっても二合半という生き方」

前はよく、子育てと仕事(その線引きも曖昧な仕事)との両立に疲れていた。
でも、弱音吐くのは自分らしくないと自分を戒めてきた。
普通に生きるぼくらはアスリートじゃないのだから、そんなに自分にプレッシャーかけないでもいいのじゃないか。
勝つことだけが人生じゃない、という人生もある。
勝負の世界が厳しいのはわかるが、・・・。
ぼくは別に勝つことだけが人生だとはマジ思わない。
負け惜しみではなく、人間が死ぬ時に、ああ、素晴らしい人生だったと振り返ることが出来ることこそ、大事だ。
畳一畳あれば、生きていける、を今も持って生きている。
ずっと「起きて半畳寝て一畳天下とっても二合半」なのである。

自分流日記「起きて半畳寝て一畳天下とっても二合半という生き方」



たぶん、心ってどんなに強そうな体躯の人でも、実際は脆いんじゃないかな、と思う。
自分の力ではどうすることもできないこともあるし、これだけ人間がいるのだから、その一人一人と全部がマッチするわけじゃないし、ストレスというのは付きまとうものだ。

そして何かを変えたいと思わない日はない。
どこまでの欲望を捨てるのかで、欲望を捨てられるのかで、人間はもしかすると楽になるのじゃないかな、と考えては立ち止まることが多くなった。

まず、自分に期待することをやめる。
諦めるのじゃない、無理をしない、ということである。
すると、見えてくるものが変わってくる。
自分に期待し過ぎないって、とっても大事なことだったりするんだよな、きっと・・・。
それは流行りの「諦める力」というのとは違って、諦めるも何も、期待しないんだから、頑張らないでいいし、プレッシャーもなくなるんじゃないかということだ。
自分をもっと好きになり、自分の良さを最大限に発揮できればいいのである。
おっと、楽しみながら、これを忘れてはいけない。
好きなことに、のめりこみ、取り組んでいけばいいのである。

自分流日記「起きて半畳寝て一畳天下とっても二合半という生き方」



起きても畳半分、寝ても一畳で足りるのだから、生きていけるよな、と思うところから始めてみる。
いつか、誰にも支配されない人間性を回復したい。
自分らしい生き方を発見してみせるぞ、と思い続けることは大事である。
ぼく自体、この世界に束縛されない人生を目指している。
そうだ、きっと、そういう空想が今の自分を励ますのである。
起きて半畳寝て一畳、天下とっても二合半なんだよ、人生というものは・・・。
自分らしく、自然に生きていきたい。  

つづく。

自分流×帝京大学

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