JINSEI STORIES
滞仏日記「パリの朝、カフェで、ささやかな感動」 Posted on 2019/09/10 辻 仁成 作家 パリ
某月某日、毎朝、必ずカフェオレを飲みに行くカフェがある。そこに集まる人たちはだいたいみんな顔見知りだ。顔を出すと、店のオーナーやギャルソンらが奥から出てきて、わざわざ握手をしにくる。
「ボンジュール。ムッシュ」
「ボンジュール。イルフェボー(いい天気だね)」
「ア~ウイ」
この辺は実にスマートだし、常連客と認められた証拠であり、なんとなくそれが始まった時は嬉しかった。そういう店が3~4軒、近所にある。朝のコーヒー、昼のランチ、夕方のアペロ(アペリティフ)、という具合だ。自分の家の周辺地区をカルチエと呼ぶ。自然とみんな顔見知りになる。
今日、ぼくの横に座った女性はぼくの母親くらいの年齢だろうか。たまに見かける人だけど、挨拶を交わしたことがなかった。目が合った。すると向こうから先に微笑みを手向けてきた。もちろん、即座に、ボンジュール、と返した。「どこから来たの?」「日本です」するとマダムは携帯を取り出し、いきなり写真を見せたのだ。小樽の運河の写真であった。
「北海道行かれたんですか?」
「ええ、夫が運転して、千歳空港でレンタカー」
ぼくはひっくり返りそうになった。おばあさんはラーメンの写真を見せた。どんぶりにひらがなで「おたる」と書いてある。なぜ、パリで小樽? こういう疑問はもっちゃいけない。実はこういうことは長く生きていればよく起こる。なのでぼくが驚いたのはご高齢のご夫婦がレンタカーで小樽まで行ったということで、昨今の高齢者ドライバーの事故のことなどが頭を過った。
「日本は何度も行った。よその国にはない独特の神聖な空気感が好きなんだよ。今回の目的は富良野・美瑛に行くことだったのよ。青い池って知ってる?」
「あ、聞いたことありますけど、実際に行ったことありません」
老女はご主人とのツーショットの写真をみせてくれた。背後の池が本当に青い。竹林のようなものに囲まれていてとっても神秘的であった。ギャルソンのクリストフがやって来て、覗き込み、おお、きれいです、と日本語で言った。この人もかつて銀座のフレンチレストランで働いていたのだ。ここはどこ?
富良野・美瑛にはまだ行ったことがない、とぼくが告げると、老女は、もぐりね、と言って笑った。あなた日本人なの?
「あの高校時代、函館という北海道の南の港町で暮らしていました」
「ああ、行ったわよ。小樽に負けないかわいらしい街だった」
北海道を車で半周したのだそうだ。それにしても、パリから高齢のご夫婦が北海道に行くだけでもすごいことだけれど、レンタカーで何百キロと移動するエネルギーに驚かされた。たしかにご婦人は矍鑠としている。年齢を聞いては失礼だから聞かなかったが、朝ごはんを食べたあと、トイレに立った。しっかりとした足取りであった。戻って来ると、赤いルージュが唇に引かれていた。その赤の新鮮さにぼくは思わず微笑んでしまった。この若さは見ならないたい。
一月後に迫ったオーチャードホールでのライブを「還暦ライブ」と呼ばれることに激しい抵抗がある。でも、仕方ないので「還暦とは思えない」とみんなをびっくりさせるために、毎日、走り込んでいる。実は一昨日、ぼくはいつもよりも長く走った。しかし、うちの周辺は石畳みが多く、転倒してしまい、でも、若い頃柔道をやっていたから受け身が出来て、不幸中の幸いにもかすり傷で済んだが、突き指してたらギターが弾けなくなるところだった。距離を伸ばしたせいで、後半、明らかに足がいつもより上がっていなかった。めっちゃ、悔しいけど、体力と年齢の関係を認めないわけにはいかなかった。起き上がり、くそ、負けるもんか、と叫びながら家路についた。あの矍鑠とした老女に笑われないよう、明日も元気に走りたいと思う。