JINSEI STORIES
滞仏日記「息子が高校生になった日に」 Posted on 2019/09/03 辻 仁成 作家 パリ
某月某日、それで今日、息子が高校生になった日の昼(この日は始業式だったので午前中で学校は終わり)、ぼくは彼が学校から戻ってきたところを捕まえ、ちょっと話したいことがあるんだよ、と言った。
かしこまって話すとややこしくなるので、玄関でいきなり切り出すことにした。
「実は、エルザの家にお泊りする件なんだけど。パパなりにじっくり考えた結果、やはり彼女の家に泊まることは許可できない。なぜなら君たちはまだ未成年だからだ」
「でも、向こうの親もいるし、親が許可をくれたし、ぼくはゲストルームで泊まるんだよ」
「それでも出会って二回目で女の子の家に招かれて泊まるというのはちょっと早すぎる。向こうの親御さんがいくら許可をしても、パパとしては残念だけど許めることはできないよ。パパはお前のことを信じているし、エルザもいい子だとは思うけど、それとは別にやはり君たちはまだ若すぎる。お前のことを信頼してくださったエルザのご両親には感謝だが、でも、パパにはパパの考え方がある。お前を育てる上での責任もある」
「でも、彼女も向こうの親も楽しみにしているのに」
彼はフランス語で不満をぶつけてきた。
「あのな、パパは会っちゃだめとは言わないよ」
目をそらした。
「会うことに反対するわけじゃないから日帰りで行って帰ってくればいいじゃないか。どうせ泊まっても翌朝には帰らないとならないのだから一緒だろ? ちょっと遅くなっても駅まで迎えに行くから、土曜日の夜に帰っておいで」
「でも、TGVはキャンセルできない」
「今回は判断が遅かったパパのせいだから、パパが全額払う。安いチケットを探しなさい」
息子がぼくの目をじっと見た。ここは揺るがない決意で挑むしかない。数秒の間があき、息子が結構あっさりと、分かった、と折れた。一瞬、耳を疑った。
「いいのか?」
「うん、親だから。従う」
「そうか」
彼らの恋愛を妨害しているわけじゃない、ということを伝えなきゃ、と思った。
「でもな、会うことに反対しているわけじゃない。土曜日の朝一番のTGVで行けば8時には着くだろ? 夕方まで10時間ほどは一緒にいられるじゃないか、少しずつ、2人の距離を縮めていけばいいんだよ」
うん、と素直に息子が頷いた。肩の荷がおりた。何か、気が楽になった。
リサとロベルトからほぼ同時刻にメッセージが飛び込んできた。話し合いがこじれた場合は僕らが彼とフランス語で話すから、というほぼ同じような内容であった。それがね、あっさりと受け入れてくれたよ、と二人に返信をした。ぼくはフランスのいけてないスタンプを二人に戻してから、昼食の準備をはじめた。料理をしていると、息子がやって来て、手伝う、と珍しく言い出した。いいよ、と笑ったが、たまには手伝いたい、と言ったので、料理を教えることにした。蒸し鱈の中華風ソース掛けである。生姜とコリアンダーとネギがたっぷりとかかった肉厚の蒸し鱈である。もち米と食べると最高にうまいのだ。醤油、ごま油、お酢などを配合して作った特製ソースを湯気の出ているほくほくの鱈にかけて完成。
いつも通り、二人で食卓に並んで座り、いつものように黙って食べた。鱈が皿から消えた頃、
「なんか、よくわかった。ダメなこともあって、大事なことがもっと大事になるね」
と息子がフランス語で言った。たぶん、そういうニュアンスだった。
「そうだよ。プティタプティ(少しずつ)で行けよ」
「うん。日帰りで会ってくる。ちょっと遠いけど」
ぼくらは笑った。
「それがいい。日本は20歳までまたなければならないけど、フランスは18で成人だ。18歳を過ぎたらお前はもう自分でなんでも決めていい。でも、今はまだ子供だからな。少しずつ、この世界と折り合っていけ。焦らないで楽しくやっていけよ」
「うん。あ、チケットだけど、乗変が出来た。10ユーロ追加するだけでOKだった」
「よかったじゃん。その10ユーロは約束通りパパが払うよ」
それにしても、最高にうまい中華風蒸し鱈であった。ただでさえ、難しい年ごろなのに、日仏の恋愛観の違いのある中、なんとか乗り越えられたことにぼくはほっとしていた。あと3年、あと3年で彼は大人になるのだ。ぼくが頑張らなければならないのはとりあえずあと3年ということになる。