JINSEI STORIES

滞仏日記「日本滞在で味わった三絶(舌)」 Posted on 2019/07/29 辻 仁成 作家 パリ

某月某日、東京滞在中、またしても美味しいものをいろいろと食べ歩くことが出来た。フランスに住んでいるとやはりどうしても日本食が恋しくなる。フランスにも美味しい和食屋があるにはあるのだが、限られている上に、厳密にいえば水が違うので、ご飯一つにしても、蕎麦は特に、いや味噌汁一つにしても日本で食べるものとは明らかに違っている。人には好みがあるので、星や料理雑誌の評価は一つの基準だと思う程度が正直いいのかもしれない。好きなものを食べようじゃないか。

僕が作家デビューを果たした時に、よく缶詰になったり、打ち合わせをしたのが駿河台の山の上ホテルで、ここは三島由紀夫などかつての文士たちがよく利用されていた。ここにてんぷら屋さんがあって、集英社担当編集者の片柳さんがよく連れて行ってくれた。こちらの天重が絶品なのだけど、残念ながらここ最近はお茶の水まで赴くことが減ってしまった。残念に思っていると六本木のミッドタウンにここの系列店の「てんぷら、山の上」という店があることを知って、出かけた。二種類のタレを選べるのだが濃厚な方でもそこまでしつこいわけではない。衣に結構しっかり目にまとわりつくタレ感は当時のままであった。駿河台の方はもっとねっとりとしなだれるほどに絡みついていた記憶があるので、あれから30年の歳月のせいで、ある程度洗練されてしまったのかもしれない、と思った。それでも、一口頬張った時に舌先を唆す「らしからぬてんぷら」の衣の甘味と柔らかさは健在で、安心をした。米とタレと衣と具の四拍子にも変わりがない。天重はなく、天丼だけであったが、十分な食べ応えであった。

滞仏日記「日本滞在で味わった三絶(舌)」

仕事で中州に常駐している間、何度か足を運んだ中州の割烹、川田の「いくら」も上品で申し分がなかった。いくらが苦手という友人と一緒だったが、その彼がひと小鉢ぺろっと完食したのには面食らった。澄んでいる触感というのか、口の中で次々に弾けていくあのしっかりとしたいくらの粒の有難い存在感、続いて押し寄せる透明なゆずの風味、口腔に広がるさわやかな海の風に我が舌は唆され続けた。一つ一つ噛みしめながら、まるで何かがふつふつ生まれ出るような旨味は粒の数だけ存在する上品さの連続であった。ここで出されるアワビの焼き物はバターと醤油の風味が程よく、九州の酒との相性も抜群であった。

滞仏日記「日本滞在で味わった三絶(舌)」

滞仏日記「日本滞在で味わった三絶(舌)」

渋谷にあるフレンチの「プティ・バトー」は、何か一品を選ぶというのが難しいその季節ごとに入荷される食材をフランスの伝統的な料理法で再現してくれるシェフの誠実な腕前が真骨頂だ。星とは無縁な感じの小さなお店なのだけど、ここを目指して奥渋谷の最果てまでやってくる人たち、食通たちの知る人ぞ知る名店である。でも、シェフはこだわりのある、ちょっと頑固な人なので、本当に料理が好きな人に出かけてもらいたい。たまに出てくる、ここの熟成豚に出会えると、その夜が幸せになる。おススメは「プルロット茸のエシャロット炒め」、白ワインとの相性抜群で、絶品なのだ。

滞仏日記「日本滞在で味わった三絶(舌)」

差し入れで頂いた、福岡の海木のおいなりさんは、ダシのたっぷりと染み入った特上のいなりの、しかし、米粒の触感が損なわれることなく、素晴らしい一品だったので、三絶+1として最後に記しておきたい。日本の美味い物を探す旅はまだ続く。秋に、後半の撮影のためにまた羽田に足を踏み入れる日が待ち遠しくて仕方がない。

滞仏日記「日本滞在で味わった三絶(舌)」