PANORAMA STORIES
81年前の絵本を読んで考える「夢の家」 Posted on 2019/07/18 清水 玲奈 ジャーナリスト・翻訳家 ロンドン
4歳になっても反抗期が続く娘ですが、一緒に絵本を読む時間は、いつも平和でほっとするひとときです。ロンドン・ブックフェアで見つけて「ぜひ娘と一緒に読みたい」と思った絵本をこのたび翻訳することができました。1938年ポーランドで出版されて以来、英語やフランス語にも訳されて読み継がれてきた異色の絵本『タテルさん ゆめのいえをたてる』です。
復刻版で出ている英語の原書は約12センチ四方ととても小さく、ブックフェアの会場で出会った時は、知られざる傑作を指す「隠された宝石」という英語の慣用表現がぴったりだと思いました。
お茶目な紳士タテルさんが「いえを 1けん たてたいのですが」と建築家に伝えるところから、物語は始まります。その後、鳥や動物の巣作り、世界の伝統的・近代的な住宅建築を学びながら、「自分にふさわしいのはどんな家か」というビジョンを明確にしていきますが、それは図らずも、自分の生活と人生について考えるプロセスにもなります。そして、大工さん、配管工、電気工など多くの人たちの力で、「ゆめのいえ」ができあがります。
住居についての哲学的な考察から、水道や電気の仕組みまで、ユーモアたっぷりの解説は大人にもさまざまな発見があります。シンプルな線画で展開する躍動感に満ちたイラスト、独特の文字のレイアウトは、びっくりするほど斬新。娘にもお気に入りの一冊となり、40分あまりかけて繰り返し読み聞かせています。
作者のテマーソン夫妻は、20世紀前半のポーランドで実験映画などを制作していたアーティスト。戦時中、ふたりはパリ、そしてロンドンへと渡ります。戦後ロンドンで立ち上げた出版社から、自らの英訳で出したのがこの絵本でした。夫妻は、模索を重ねて理想の家にたどり着いたタテルさんに、自分たち自身、そして復興の只中にあったイギリスの子どもたちの姿を重ね合わせていたに違いありません。
そんな彼らの心境を想像し、私は「やがて巣立ちを果たし、自分だけの『ゆめのいえ』を実現する冒険へと乗り出す子どもたちに、この本を贈りたいと思います」と訳者あとがきに書きました。
私自身が実家から巣立ったのは7月でした。ロンドンに渡り、学生寮の庭でばらの花が咲いていて、それだけで世界がばら色に思えたあの夏から、今年で人生の半分を海外で過ごしたことになります。その間、ロンドンとパリで10軒あまりの住まいにお世話になりました。エッフェル塔が見えた屋根裏のアパルトマン、ウェンブリースタジアムからライブの音が風に乗って聞こえてきた庭付きの家など、どこも思い出深いですが、いつも「ここは仮の住まいで、いつかは旅立つ」という感覚がどこかにありました。
今の私が暮らす小さなフラットは、公園や学校が近くにあり、娘と暮らすために全面的にリノベーションした「夢の家」。建築家とやりとりを重ね、リビングに仕事場と本棚、娘の遊び場、小さなピアノ、そして大きなテーブルを置いて、お客様を招けて将来はそこで娘が宿題もできるようにして、ガラス戸で仕切られたキッチンからは料理中も娘の姿が見えて…と、いろんなわがままを叶えてもらいました。工事が完了してすっかり生まれ変わったフラットで、私は建築家や大工さんに「ありがとう」と思わずハグしました。家が完成した時のタテルさんのように。
そして生まれて初めて「この家で一生終えてもいい」という気持ちになりました。「夢の家」づくりをしようという気になったのは、おしゃれな奥さんとお風呂嫌いの息子のいるタテルさんと同様、自分が家族(日本語で「家の族」なのですね)を持ったおかげなのかもしれません。
娘は「だいがくせいになっても30さいになってもおかあちゃんといっしょにねたいから、ずっとろんどんのおうちにすむ」と、かわいいことを言います。パイロットになるのが夢ですが、「ぱいろっとになってもここにくらして、やすみのひはぴあのをひく」とのこと。いつか娘が家を出て行く日に、私はそんな発言を懐かしく思い出すことでしょう。
ノーベル平和賞受賞者マララ・ユスフザイさんのお父さんは、子育てについて「彼女に教育を与え、翼を切らなかっただけだ」と語りました。居心地の良い巣を用意し、そこで子どもが自分の力で飛べるようになるまで育てる。私もそんな精神で、「夢の家」から娘が巣立つまでを見守りたいと思います。
ステファン・テマーソン 文、フランチスカ・テマーソン 絵、清水玲奈 訳
エクスナレッジ刊
Posted by 清水 玲奈
清水 玲奈
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ジャーナリスト・翻訳家。東京大学大学院総合文化研究科修了(表象文化論)。著書に『世界の美しい本屋さん』など。ウェブサイトDOTPLACEで「英国書店探訪」を連載中。ブログ「清水玲奈の英語絵本深読み術」。