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滞仏日記「パリ発祥の音楽祭が世界各地で愛される理由」 Posted on 2019/06/22 辻 仁成 作家 パリ

某月某日、今日、パリはフェット・ド・ラ・ミュージック(音楽祭)の日だった。これは「誰もが音楽を楽しもう」というコンセプトで1982年に文化大臣のジャック・ラングによって作られた音楽を祝うための、みんなで音楽をやるための日である。もともとはアメリカ人のミュージシャン、ジョエル・コーエンの発案なのだけど、それが大勢の人の想いを吸い取って大きくなり、夏至の夜に演奏家たちでフランスを埋め尽くそうということになった。素晴らしいことじゃないか。なんと、6月21日だけで、500万人以上のミュージシャンがフランス全土で20000ヶ所以上でコンサート行い、一千万人以上を動員する。バーもレストランもこの日は深夜まで営業してよくて、街角でも店先でもありとあらゆる場所でみんなが音楽を演奏し、音楽に酔いしれる。

忘れもしない、2002年の6月21日、僕はオデオン地区のアパルトマンに暮らしていた。夕方、軽快な音楽が鳴り響きはじめたので驚いて窓から顔を出すと通りを埋める群衆の真ん中を行進するブラスバンドの楽隊であった。驚き、僕は階段を駆け下り外に出てみた。するとオデオンの駅周辺を路上ミュージシャンたちが占拠しているじゃないか。アンプを積み上げて演奏するヘヴィメタルバンドや、ベンチに座って演奏するブルースギタリスト、古い教会の前でクラシックを奏でる弦楽四重奏など、その光景はある種、非現実的なカオスなのだけど、計算されていない自然発生的な迫力があり、あらゆる人をスペクタクルの世界へと引きずり込んでいく力が包み込んでいた。僕にはまるで音楽が革命を起こそうとしているようにさえ見えた。それから毎年、僕はこの6月21日が楽しみで仕方なくなる。右岸のオーベルカンフなどは深夜の12時、2時、4時に鼓笛隊が眠りかけている市民を叩き起こす。シャンゼリゼもオペラもバスティーユもマレ地区も至る所で音楽祭が催される。もちろん、パリの多くの市庁舎でも演奏会が、或いはシャイヨー宮殿やエッフェル塔の周辺などでは大規模なコンサートが計画されている。とにかく、6月21日のパリは音楽で溢れてしまうのだ。このイベントはその後全世界に飛び火し、現在百か国以上で6月21日は音楽祭の日ということになっている。日本でも京都などがこの精神を受け継いでいるのだとか。

それで今日、僕は知り合いのバーで演奏をすることにした。一人だと寂しいのでクラリネット奏者のかおりさんと着物姿の舞踏家松浦さんに出てもらって、そこに集まった常連さんたちの前で二時間ほど演奏と舞踏をやることになった。息子くんが楽器を運んだりセッティングを手伝ってくれた。僕はいつもそのバーのカウンターで飲んだくれているのだけど、お客さんたちは僕が何者かもちろん知らない。へんな日本人のオヤジがいつも飲んだくれて、くらいに思っていたはず。でも、その夜、僕はミュージシャンであることがバレてしまった。歓声や拍手が沸き起こり、世界中が音楽で一つになったような心地よい夜であった。面識のないトランペット奏者の青年とウクライナ人の歌手の人がいたので招き入れ、彼らとはその日はじめて会ったのだけど、ここが音楽という言語の素晴らしいところだが、音楽さえあれば初対面でも国籍や民族を超えて、一緒にラヴィアンローズを演奏することが可能なのである。予定調和のない、音楽だからできる、素晴らしいユニティだった。深夜、演奏が終わり、僕がギターを持ち、息子がアンプを抱えてバーを出ると、店の前に集まっていた界隈の住民たちから、TSUJI、コールがあがった。振り返ると、息子が、照れくさそうに口をゆがめて照れ笑いを浮かべていた。 

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