JINSEI STORIES

滞仏日記「人生は365歩のマーチなんだよ」 Posted on 2019/06/12 辻 仁成 作家 パリ

 
某月某日、ふと、また思った。というのかここ最近、ずっと考えていることなんだけど、僕はかつて野心家だった。だから上昇志向というようなものが強かった。今も結構あるのかな。でも、ふと、思ったのは、そういうものが人生を豊かにするのか、ということだ。かつて、Aさんと、Bさんと、Cさんという野心的な観点から盛り上がって仲良くなった仲間たちがいた。彼らと描く輝く未来は楽しかった。でも、野心が強すぎて、彼らの共通点は、お金にならなかったりビジネスじゃないものには興味を示さないということだった。当然、気が付くとどこかにいなくなっていた。彼らと盛り上がったあの時期はなんだったのだろう。Dさんが残った。でも、この人は野心もなく、ひょうひょうとしていて、成功からも遠い人だった。そこで僕はDさんに「野心はないんですか?」と質問した。するとDさんは「野心は人を遠ざけるからね~」とおっしゃった。

あれから10年ほどの歳月が経った。野心家の僕の周りにはなぜか野心家が集まってくるのだけど、一方で、Dさんのような人がどんどん減っていった。そして近づく野心家は僕がお金にならないと気が付くとすっといなくなった。彼らが並べたあのきれいごとのショーウインドーはなんだったのだろう、と思った。それはたぶん僕にも責任がある、と思った。僕が野心家を引き付けてしまうのだ、と。わきが甘いな、と反省をした。

それで僕はやっとこの年齢で気が付いた。好きな仲間たちと本当に好きなことをして、虚栄心を捨てて、楽しく一緒に生きていきたい、と。そのためには野心丸出しの人に近づくのはもうやめよう、と。僕自身も薄っぺらい野心を捨てよう、と思うようになったのだ。違うと思ったら近付かないにこしたことはない。その人たちを嫌いになりたくないだけじゃなく、自分も自分らしく生きていきたいからだ。大事なことは好きな人たちと日々、ちょこっとずつ前進することかもしれない。人生はワンツーパンチなんだ。やっぱり水前寺清子は素晴らしい。

「幸せは歩いてこない、だから歩いて行くんだね。一日一歩、三日で三歩、三歩進んで二歩下がる」

この二歩下がるに、なるほど~、と僕は思わず大声を出してしまった。よし、がんばろうと思った。僕は単純だけど、そこがいいんだ。(笑)。完璧な人間なんていない。そういうちょっと欠けているけど自分らしい人生を愛したいのだ。
 

滞仏日記「人生は365歩のマーチなんだよ」