PANORAMA STORIES
退屈日記「父ちゃんの携帯に眠る、パリ幻想写真館」 Posted on 2023/01/17 辻 仁成 作家 パリ
パリよ、あなたは美しい。うつむく人々がそこかしこで立ち止まり、あなたを見つめ、ため息を漏らす。ぼくもまた同じようにあなたに心を奪われる。
いかなる芸術よりも尊い光りがある。その一瞬に出会えたことをぼくは喜びたい。わずか、数分、いや、数十秒の瞬間が生み出す芸術に出会える確率。この場所でしか出会うことのできない、あなたの作品のなんと崇高なことか。
遠くに沈む太陽に別れを告げるために。
また、別の日、うつむくぼくを立ち止まらせ、あなたがほほ笑む。それが人生というものだから、負けないで、とあなたは言った。
ぼくは路地に迷い込み、今日を生きるための言葉を探している。少女がぼくの目の前を過っていった。ぼくは考える。それがいつの日の彼女だったかを。
白いドレスを纏うあなたに恋をしたこともある。パリよ、あなたはいついかなる時にも美しい。動かない世界の中で、ぼくはあなたと対峙する。凍えるようなこの世界の中にあっても、あなたはあなたであり続ける。
青空がひろがる空をぼくは見上げよう。そこにあなたがいる。パリよ、あなたは天空からぼくを見下ろし微笑んでいる。そこにはあらゆることへの赦しがある。
さあ、この広場を横切って、ぼくはぼくの世界へと。
パリよ、あなたは凛として、高貴で、堂々としていて、物静かで、しかも美しい。ぼくは深呼吸をする。そして、うつむくことをやめて歩き出す。もう一度、生きてみる。
パリよ。
Posted by 辻 仁成
辻 仁成
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作家。パリ在住。1989年に「ピアニシモ」ですばる文学賞を受賞、1997年には「海峡の光」で芥川賞を受賞。1999年に「白仏」でフランスの代表的な文学賞「フェミナ賞・外国小説賞」を日本人として唯一受賞。ミュージシャン、映画監督、演出家など文学以外の分野にも幅広く活動。Design Stories主宰。