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滞仏日記「移民とは何か、知ってるようで知らない移民について」 Posted on 2019/05/08 辻 仁成 作家 パリ

某月某日、息子の滞在許可証更新のためにシテ島にある警察署まで行った。昔はここで何時間も待たされた。在仏の外国人のためのビザや滞在許可証を扱う。パリには日本では考えられない数の外国人が住んでいるので、その人たちがここに集中する。全ての日本人だけじゃなく、アメリカ人も中国人もアフリカの方々もフランス国籍を持っていない外国人はみんなここに来なければならない。なので、いつ行っても物凄い行列だった。赤ん坊を抱いたお母さんやお年寄りも長い時間待たされる、結構、地獄だった。でも、たぶん、人権面でフランス政府も考えたのだろう、時代は変わり、今は予約制になり、長い列に並ぶ必要もなくなった。(ちなみにフランス人は市役所に行って身分証の更新などをするので、ここには来ない)

18年前と比べるとシテ島の警察はとっても人間的になった。担当の人たちの応対も柔らかくなった。15年前、子供が生まれたばかりの時に、毎年ここに並んだ。子供を抱えて6時間待たされたこともあった。過酷だった。正直に言えば、このような経験は僕の一生の中でも、ここでしか味わったことがない。それが海外で暮らすということだ、と教えられた場所でもある。滞在許可証を得るために、炎天下の真夏に、冷房もない蒸し暑い部屋で、子供を抱えて6時間も待った経験を僕は生涯忘れないだろう。更新は毎年だから、毎年この過酷が繰り返された。今はグリーンカードのようなタイトルを持つことが出来たので、この過酷からは解放された。しかし、外国人が他所の国で暮らすわけだから、厳しいのは当たり前だと思う。

日本でも移民問題が議論を生んでいる。4月に創設された在留資格「特定技能」は移民受け入れではないのか、という意見が噴出している。政府はそういう意見に「定住はさせない」と反論している。でも、国籍を取得できないのならば、優秀な労働力が日本に根付くことはないだろう。ちょっと矛盾がある。カナダなどはこれとは真逆の移民受け入れ制作を展開して、世界的な競争力を高めようとしている。

フランスの移民に対する考え方の広さと豊かさには驚かされる。(フランスの極右政党「国民戦線」は日本を見習っているのだとか。国民戦線の人が力説する記事を読んだことがある)テロもこれだけ続いたので、移民に対する風当たりはフランスでも強くなった。それでもフランスには、独自の考え方があり、パリを見回す限り、移民ばかりだ。そこには移民と向き合って来た長い歴史がある。いい歴史ばかりじゃないが、移民と対峙するフランス人の姿勢は学ぶ価値がある。

フランス以外の欧州諸国はもっと移民に対して厳しい状態にあると思う。世界的に右傾化というのか、移民排斥の傾向は強まっている。これだけテロがあり、これだけ仕事がなくなり、これだけ移民が増え続けているのだから、それぞれの国が移民に対して厳しくなるのも理解できる。移民は中東のシリアやイラクからばかりではなく、アフリカからも押し寄せる。移民が移動をするその根本には先進国の利権の問題も絡んでいるので、移民を拒否するだけではこの問題は解決できないことをメルケルさんあたりはよく心得ている。

移民という言葉を辞書で調べてみると、「自由意思に基づき平和的に生活の場を外国に移し定住する人のことである」と出た。これは間違えていないだろうか?今の移民問題の「移民」はこの説明には当てはまらない。平和的に生活の場を外国に移し、というのはむしろ、僕のことじゃないのか。ということは僕は移民? いや、フランスの国籍は持ってないので移民とは言わない? というのか戦火を逃れて押し寄せてくるシリアやイラクの人々を「移民」と報道しているけど、定義的には間違えてないか。パスポートも何も持たずにやってくる彼らを移民と呼ぶならば、そもそも自由意志にも基づいてないし、平和的とは言えないのだから、先の辞書は間違いということになる。中東やアフリカやギリシャや中南米からやってきた移民と在仏日本人と、何がどう違うというのであろう。この移民という概念が非常に曖昧じゃないか。日本にも労働ビザを持って働く外国人はたくさんいるが、彼らを移民とは呼ばない。日本国籍を取得した外国人たちが移民ということになるのだろうか?

イングリッシュマンインニューヨークの替え歌を最近よく僕はライブで歌っている。ジャパニーズマンインパリという曲で、子育てをしながら小説を書いてパリで暮らすサムライ作家を皮肉った歌である。一時的な移民状態の僕は今、ここパリで移民とは何かについて考える。日本は高齢化社会が続く、経済のことを考えると外国人労働者の力を借りたい。でも、多くの外国人は日本の移民制度へ不満を持っている。労働ビザを取得出来ても、死ぬまで日本で暮らすことはほぼ出来ない。いつかは帰らないとならないのである。日本に優秀な労働力が根付かない理由がそこにある。日本で外国人が国籍を取得するのは本当に一部だからで、そうなると、優秀な人たちはチャンスのある国へと渡る。日本が質の高い労働力を得たいと思うならばそこを変えないと優秀な労働力は根付かないだろう。そしてそれは日本の経済の衰退に関係してくる。けれど、僕個人の考え方だが、現状の状態での移民受け入れには慎重というのか反対だ。フランスには長い移民と共存してきた歴史があり、移民に対する豊かな経験と意識がある。日本は島国だし外国人を受け入れる精神的バックボーンがまだ整っていない。そういう段階で良質の労働力だけを獲得しようとしても、うまくいかない気がする。日本政府は優秀な移民だけを受け入れようとしているけれど、どこを持って優秀と定義するのかも難しい。(知り合いにクルド人がいる。彼らは日本で労働ビザを取得できないようだ)日本が労働力を外から得たいのであれば移民についてもっと勉強をし、フランスなどを参考にして、国全体で取り組んでいかなければならない。それは簡単な道のりではない。なので、僕は(現時点での)移民の受け入れに慎重なのだ。移民を受け入れない状態が続けば労働力不足は解消されず(一時的な労働者では弱い)、日本の経済順位はぐんと落ちるであろう。それも仕方ないのじゃないか、というのが僕の意見だ。

簡単には言えない扱えない問題だけれど、まずはオリンピックがいい経験の場になるだろう。オリンピックを通して、僕らは移民問題を考えたらいい。異文化、異民族、との共存は人間が火星で暮らすよりも容易じゃない気がする。僕はそのようなことをシテ島の警察署の列に並びながら考えた。

滞仏日記「移民とは何か、知ってるようで知らない移民について」