JINSEI STORIES
滞仏日記「ふらりと訪れた雪国の少し遅い春」 Posted on 2019/04/13 辻 仁成 作家 パリ
某月某日、早朝から新潟へと向かった。雪国の春を見てみたい、と思いついた。上越新幹線に乗るのは久しぶりのことで、時差ボケできつかったけれど車窓から見える北陸の景色はまるで川端康成の「雪国」を思わせるような絶景で、とくに長いトンネルを超えふっと視界に現れた越後湯沢駅の絵葉書のような美しい光景に眠気がふっとんでしまった。何十年ぶりに訪れた新潟市内はとっても落ち着いており、土産物屋さんも食堂もすれ違う人々も、ふらりと訪れた神明神社の物静かな佇まいまで、どこもかしこも東京とはまるで違うゆったりとした北陸時間に包み込まれており、気が付けば僕は古き良き日本に立っていた。
新潟と言えばへぎそばが有名だけれども、最近人気のB級グルメでもあるタレカツ丼というのを食べたくて、駅前の食堂で試食してみた。薄いトンカツをタレに潜らせただけの料理だが、あっさりした味わいでペロりと完食出来てしまう。しつこくないので胃に負担がなく、ほのかな甘さがどこか親子丼を思わせるが実はカツ丼というB級な一品であった。
そういえば新潟は職人の街で、あの名刀グローバル包丁も新潟産なのである。他に鉄製カトラリーだとかハサミなど、まさに鉄を使った製品の技術が高く、フランスでは職人のことをアルチザンと呼ぶのだが、新潟はまさにアルチザンのふるさとという印象を持った。僕は駅構内の土産物店で銅製のぐい吞みを買った。実は世界中の小さなグラスを集めているのだ。
フランスや欧州の人々に日本をもっと知ってもらいたいし、歩いてもらいたいな、と僕は思った。そして日本の地方都市のあちこちに根付いたアルチザンたちの製品を手に取ってもらいたい。コツコツと職人たちが地方の時間の中で作り上げた製品の実に細やかな技術こそ日本の魅力がある。中央の派手な企業の最新型の商品にばかり人は目を向けるけれど、日本の風土の中で時間をたっぷりと注ぎ込んで作られたこういう製品の技術こそが、実は日本の実力なのだろうと思う。オリンピックへと向かう日本が海外から訪れる人たちに一番アピールできるものが、包丁だったり、爪切りだったり、小さな鋏だったりすることは間違いない。いいものを買って帰ってもらいたい。
僕は新潟市内を歩きながら、日本らしい風景に幾度と静かな感動を覚えた。そこにはパリや欧州の伝統的な都市にも負けない質素だが素晴らしいデザイン力があり、また愛すべきライフがあった。これから僕が新潟とどのようなお付き合いが出来るかわからないけれど、もう一度、ゆっくりと遊びに立ち寄りたい。そうだ、ここの一番の売りは「時間」である。通りに佇み、僕は穏やかに生きる新潟の人々の横顔に心を和ませた。日本を再発見する。これがこれからの僕の趣味になるような気もする。見上げると、東京では散ってしまった桜が、ここ新潟では満開であった。少し遅い春、でも、こうやって春が静かに北上する日本が好きだ。細長い日本の風土と歴史、ここをこそ僕らはもっと誇りたいじゃないか。